
【2002年2月】
市役所の冷暖房装置の改修工事、住民基本台帳ネットワークシステム等について質疑(予算案)(2月28日)
今日から予算案に関する質疑が始まりました。自分が属している常任委員会(私の場合は文教福祉)に付託される項目は、本会議で質疑できないことになっています。そこで、次の3点について質疑しました。
1.市役所冷暖房装置の改修
すでに小規模な修理では間に合わず、部品そのものが入手困難になっているため、14年度からボイラーの交換を含める、大規模改修工事を行うとのこと。総工費は2億8千万ほどです。
そこで、「三枝市長はかねがね、平成17年3月までには、市町村合併について検討すると言っているが、合併になれば市庁舎の移転なども考えられる。合併に関する結論も出ていないこの時期に、大規模な改修を行うのはなぜか」と質問。
答弁は、「これまで何度も、冷暖房がストップし、修理がすぐに間に合わずに市民の皆さんに迷惑をかけたり、職員の業務に支障を来したりして、待ったなしの状態」、「新しい設備はノンフロンで環境に対する負荷が少なく、また都市ガス使用で光熱費の節約にもなる」とのこと。
本当は、「これだけの金額をかけて改修するということは、合併は近い将来ありえないということか」と切り込みたかったのですが、やめておきました。合併と改修は、全く別物、という態度なのです。
しかし市民感情としては、あえて引っ越しを検討している時期には、大々的な改修工事は控えるのでは、と思いませんか?
2.住民基本台帳ネットワークシステム
昨年も質疑しました。このネットワークシステムが本格的に稼働すると、国民すべてに11桁の背番号が付けられ、コンピュータで個人データが管理されることになります。昨年はあくまでも「全国どこでも住民票の発行などが可能になり、市民の皆さんの利便性が高まる」という答弁でした。
しかし、14年8月の実施を前に、すでに入力する個人データの拡大やオンライン化され、国が情報を入手できるデータの拡大などの方向が示されています。国家による個人情報の管理が強まると、全国的に反対の声が上がっています。
春日部市では、あくまでも「国民背番号制、という意識はなく、住民票などの窓口の発行が迅速になり、また他市町村で可能になるなど、市民の利便性のためという認識」とのこと。オンラインにのるデータは、氏名、住所、性別、市民となった月日の4項目」という答弁でした。
そこで「今年度、他市町村、県、国に流される情報は4項目のみ、ということですね」と確認しました。
今後、それ以上オンラインにのることになった場合には、きっちり議論を進めようと思っています。
この住民基本台帳ネットワークシステムについては、「みどりのネットワーク」として学習会を開きたいと思っています。
3.街路樹剪定枝葉等の堆肥化モデル事業について
これに関しては、生ゴミの循環システムとの関連について質疑しましたが、まだそこまでには至らないとのことでした。
これも、今後の課題になります。
いろいろな働き方が選べる社会にしたい
(2月23日)
第期の「埼玉の女性と政治スクール」、1回目の今日は、「女性の働き方と社会保障」がテーマでした。
パート1は「女性と年金」で、講師は前参議院議員の清水澄子さん、パート2は「仕事と家庭の両立支援」で、講師は女性のワーキングライフを考える会会長の酒井和子さんでした。
年金の問題は、今、家族単位から個人単位へ、という観点から、サラリーマンの妻は年金の保険料を払わなくてもいい、いわゆる3号保険者である、という問題や、配偶者控除の見直しなどの改定が行われる予定になっています。国民皆保険をうたいながら、条件付きでサラリーマンの妻である、というだけで保険料を払わなくていい、という制度はやはりおかしいし、女性の労働権を妨げるものになっています。
酒井さんのお話は、働くということを雇用形態からみて、@「正社員」A「パートや非常勤、契約社員、派遣社員などの有期契約雇用」、B「業務委託、在宅勤務、内職、自営など」、C「ボランティアや家事、育児、介護などの無償労働(アンペイドワーク)」の四つに分け、世界的に正規雇用が減って、A、Bが増えているという現状。パート労働法が制定されたにもかかわらず、逆に男女や雇用形態の違いによる賃金格差が広がっている、などを指摘。「同一労働、同一待遇」を保証する「均等待遇法」制定の必要性を述べられました。
中でも私が一番興味を持ったのは、オランダの「ワークシェアリングとコンビネーション・シナリオ」の取り組みでした。2月初旬にこの視察の報告の新聞報道があったのですが、オランダでは、「ワークシェアリングしても賃下げはしないというワッセナー合意」が結ばれ、さらに「パートタイム労働と古タイム労働の均等待遇によるワークシェアリングがすすめられていること、そしてアンペイドワークを男女ともに再配分するためのコンビネーション・シナリオが進められている、とのことです。このシナリオは15年計画で進められ、男が0.75働き、女性も0.75働き、つまり共働きなら二人で1.5人分働くようにしようというものです。
こうすることによって、例えば子育て中なら、子どもを預ける日数が減るため、保育園を増やさなくても済みます。介護も、二人で協力すれば、かなり手がさけることになります。
最近、うちの子ども達も含めて、自分で納得のいく働き方をしたい、仕事と自分の世界を両立させたい、ということから、正規の雇用形態ではなく、パートや派遣で働く若い人たちが増えています。
雇用だけが働く形態ではない、あるいはアンペイドワークをペイドワークに、つまり生き甲斐で暮らせる働き方を、という意味合いで、「ワーカーズコレクティブ法」の行方などに関心をもっています。女性の働き方を、従来の男性の働き方に近づけるのではなく、男性の働き方を女性の働き方に近づけること、つまり、アンペイドワークを男性も担えるようにする、男性も仕事以外に自分の生活を大事にできる働き方をする、それが自然なのではないかと思っています。
「永田町の常識は世間の非常識」と言われる今の政治の世界をみても、国民感覚とあまりにちがう論議が起こるのは、つまり、アンペイドワークや私生活という、人間らしい生活をしてこなかった男性議員が余りにも多すぎるからではないか、と思わざるを得ません。
皆さんは、どうお考えでしょうか。

ノーマライゼーションへの道は遠いのか、近いのか
(2月20日)
12月議会で一般質問でふれた、現在策定中の「春日部市障害者計画」ですが、いよいよまとめの段階になってきました。
策定懇話会の委員が、当事者を中心として選ばれているせいか、1回目から活発な論議が続き、3月までにまとまるのだろうか、と危惧していたのですが、3回目の懇話会で示されたプランは、ノーマライゼーションという視点をきちんと据えた、なかなかよいプランになっていました。
しかし、庁内検討会議でいろいろな意見が出されたようで、とくに「障害のある子もない子も共に学ぶ」という施策について、論議があったとのこと。
最終回である、4回目の懇話会では、施策の部分の修正案が示されましたが、ウ〜ン、やっぱり後退の感があります。
ここ数日、この点について、いろいろ話したり意見を聞いたりする日々が続きました。統合教育は時代の流れ、と思っていた矢先に文部科学省から示された「教育基本法施行令」の改定案。
障害を持っていても、地域で生まれ、育ち、生きていくとすれば、なぜ教育の段階で分けなければならないのか。障害があっても生きる力を育てるための特別な教育が必要だとしたら、必要と思う人だけがその教育を選択すればよいわけで、それよりも、ずっと生きていく地域での人とのつながりを大切にしたい、と思えば、地域の学校に通うことは、ごく自然な流れだと思うのです。
「手がかかるから」、「他の子に迷惑がかかるから」、という理由で障害を持つ子の受け入れに難色を示すということは、つまりは障害のない子であっても、「手がかかる子」「他の子に迷惑をかける子」は困る、ということにつながります。
いろんな子がいる、いろいろな人がいる、これが当たり前の社会であるとしたら、学校もそうであるのが当たり前、という至極当然の観点からこの問題を論じないかぎり、平行線をたどると思わざるをえません。

なぜ今、新しい館を建てる必要があるのでしょう
(2月18日)
14年度予算に、児童センターの用地買収の予算が計上されるため、児童センター構想についての説明がありました。
しかし、説明を聞けば聞くほど、「なぜ今、用地を買収してまで、新しいセンターを建てなければいけないのか」という疑問が強くなってきます。
「児童育成計画(エンゼルプラン)」を推進する上でも、「子育て支援策」を強化するためにも、センター機能が必要なことは十分わかります。しかし、センター機能は、新しい館でなくてももたせることができます。あくまでも「児童センター」は子どもの遊び場、親子のふれあい、あるいは地域の子育ての核となるetc.の機能ももたせる、ということが眼目なはずで、だとするなら、センター館をつくることより、地域ごとに、「地区館」的な児童館をつくる方が急務と思われます。もちろん、いまある市の公共施設を利用して……。
市民ワークショップなどでも、「遠くにりっぱな館をつくるより、学校から帰った子どもたちが、気軽に遊びに行ける距離に」、「雨の日でも、乳幼児を抱えたお母さんが遊びにい行けるところに」という要望が多かったはずです。
このような点を踏まえて「例えば、廃校になる谷中小学校や沼端小学校を改修して児童センターにし、新しい館をつくる予算を既存施設の転用のための改修等に当てて、地区館の整備を先にしたほうがいいのではないか」という点について質疑しましたが、納得のいく答弁は得られませんでした。
他の委員からも、似たような主旨の質疑があり、何が何でも新しい児童センターを、という流れにならないよう、がんばりたいと思っています。
22日からはじまる3月議会では、予算案が審議されます。皆さんのご意見、お寄せください。

昔の人の知恵に、芸術性にふれて!
(2月15日)
議員運営委員会の視察は、愛知県の半田市と、兵庫県の明石市でした。
写真は初日、半田市の議会運営についての視察を終えたあと、「酒造博物館」を訪れた折のスナップです。

酒蔵の黒塗りの板壁は、実は火事になったとき、鳶口などで横に渡された桟をはずすことによって、板壁がはずれ、土壁がむきだしになって類焼を防ぐ構造になっているとのこと。昔の日本人の知恵には驚くばかりです。
実はお正月以降、日本の家紋(6000種近く)をコンピュータで取り込む仕事を手伝っておりましたが、黒、白二色の世界に表現された、デザイン感覚のすばらしさに惚れ惚れしながらパソコンに向かいました。
中には「恋文」という、本当に小枝の先に結び文を描いたものもあって、さらに感激!
文明や文化の進歩って、一体なんなんでしょう。

”命は神様からの預かりもの”は死語に?
(2月9日)
都下の特別擁護老人ホームに入所している姑が、自力で食べ物を飲み込むことがむずかしくなってきているため、チューブからの栄養補給をすすめられています。医師を交えて、親族と施設との話し合いが予定されていますが、ちょっと考えさせられる問題点が含まれているように思います。
以前入院したときに、チューブを通す手術をすすめられ、そのときには「管でつないで生命を維持するのは、しのびないこと、つまりできるだけ自然な姿で余生をまっとうしてほしいこと」、「チューブを清潔にする際の操作のリスク」この2点から、手術は断りました。
その時点からすでに半年以上経過し、姑の機能が衰えてきていることは分かります。しかし、今回の話が、医学的見地から、これ以上経口の栄養補給にこだわると、命に関わる、という判断で持ち込まれていたのなら分かるのですが、施設側から「職員は、毎日冷や汗を流しながら、介護している(多分、食事介助のときに誤嚥事故を心配しているのでしょう)」ということであれば、何のための介護のプロ?と言わざるを得ません。
介護保険導入時、理念の一つとして、「専門家の手による介護を受けることによって老後のクォリティ・オブ・ライフを高めることができる」、ということがうたわれています。
姑が子どもの見分けもつかなくなり、家族と一緒にいることのメリットがほとんどなくなってきた段階で、親族は、ほとんど寝たきりの状態の姑の介護の手がないことに加えて、プロの手による介護を選択して、特別養護老人ホームの入所を決めたのです。
ちなみに、養護老人ホームに勤めている次女に意見を求めると、「少しでも飲み込む力があるうちは、食べる愉しみを奪わないよう、飲み込む力を少しでも温存させるよう、口から食べさせてあげるのが、介護者の仕事」と言いました。
介護士として長く働いている友人に意見を求めたところ、「口をほとんど開けない状態になったら、流動食を注射器状のもので流し込むなどして、できるだけ口から食べさせる努力をしている」とのことでした。ただし、その友人の話では、以前はそうして自然死のような形の看取りが、特別養護老人ホームの職員の仕事だったけれど、今はその前に病院に移ってしまうことが多く、看取りをすることはめったになくなっている、とのことでした。
脳硬塞で倒れた私の実父は、入院時に点滴からチューブ栄養に移ったものの、意識が戻らないまま、すでに1年以上が経過しました。見舞いにいってもほとんど反応がなく、ときどき苦しそうに顔をゆがめる父を見ていると、元気だったころの父の姿がオーバーラップし、「果たして父は何を望んでいるのだろう」と自問自答するばかりです。すでに医学的には何の手もほどこしようもない父にとっては、管につながれたまま、自力で寝返り一つ打てず、寝たきりによって生じた血栓で肺梗塞を起こすか、感染症にかかるかなど、いくつかの条件による命の幕引きを待つだけになっています。
私は痛みや苦痛に弱いので、もし、自分が寝返りもうてない状態で、痛みやかゆみも一切訴えるすべもなく、ただただ耐えるしかない日々を過ごすことを考えると、ほとんど恐怖を覚えます。もしかしたら私たちは、父にそのような日々を過ごすことをしいているのではないか、そう思うと申し訳ない気持ちにもなります。
どうにかしてでも、1日でも長く生きていてほしい、と願うのが肉親の情であるとしたら、管に繋がれた不自然な状態で生き永らえさせるのはしのびない、と思うのも同じ肉親の情です。意識がはっきりしているうちに、自分の老後の選択を意思表示している少数の人以外の肉親には、どこかで年老いた肉親の命の幕引きを選択せざるをえない、という冷酷な現実が、ここにあります。
子どものころから祖母に「命は神様からの預かりもの」と言われて育ちました。無神論者の私でも、神様という言葉に象徴される、自然の輪廻の中のちっぽけな存在である人間である以上、自然に老いて命の摂理のままに死んでいきたいものと思います。そういう生のまっとうの仕方が許されない時代であることに、疑問を感ずるばかりです。

マスコミが信じられない時代?
(2月8日)
新聞は、毎日スクラップしようと思っているのですが、忙しい日が続くとついついさぼり、新聞が山と積み上げられてしまいます。積み重なった新聞をベットにするのが好きなノルダが、”ベットが高すぎる”と不満げなので毎日5日分ずつ整理するぞ! と決心。しかし、何週間かたった”昔のニュース”を読むというのもなかなか面白いもので、田中元外相の更迭以前は、小泉流改革に期待するがごとき見出しが踊っています。それが世論調査で支持率が下がったとたんに、小泉批判にトーンが変わってきています。
私が若かったころは、マスコミを「似非インテリゲンチャ」と批判する人たちもいましたが、まだ、時代をリードする役割を期待していた向きもありました。今はなんとなく時代の後追いばかりしていて、羅針盤としての機能は果たしていないような気がするのは、私だけでしょうか。
こういう時代に、世論を的確にキャッチし、束ねるという役割は、果たしてだれが果たすのだろうと、考えてしまいます。

<ベットがちょうどよい高さになって、気持ちよさそうに眠るノルダ>

雪印事件は、食べ物が食べ物でなくなっている時代の象徴では(2月7日)
市役所に打ち合わせに出かけたところ、雪印関東工場の労働組合の人たちが、市に対して要望書を提出しにきていました。
この事件で、社員やパートの従業員の方々が解雇されることは、本当に辛いニュースです。
それはさておき、牛乳事件のときのずさんさに加えて今回の事件、ことは雪印の問題だけなのだろうか、とだれしも不安に思うのではないでしょうか。
いわゆる狂牛病の問題にしても、以前から鶏やブタ、養殖魚などに対する抗生物質の投与の問題や、えさの問題など、いろいろな不安材料が指摘されてきたことの延長線上に起こったこととしか思えません。
食べ物がいつからか食べ物でなく、商品となり、工業製品の一部であるかのように大量生産されるようになったときから、問題を孕んできたと言えます。
この事件をきっかけに、消費者と言われる私たちが、食べ物についてしっかり考えることが大事ではないかと思います。
私はどんなに手間がかかっても、生産者の顔の見える共同購入を、食の基本にしたいものと思っています。

"銀行はつぶれない”を前提にしたペイオフ解禁対策?
(2月5日、議員団勉強会)
4月から実施されるペイオフ解禁に対する、自治体の対策について、あさひ銀行公務部の方を講師として勉強会が開かれました。
総務省の「地方公共団体におけるペイオフ解禁への対応方策研究会」のとりまとめによると、
1.国債、政府保証債、地方債等の元本償還及び利息の支払いが確実な債券による運用
2.預金債券と借入金債務との相殺
3.指定金融機関からの担保の徴集
4.金融機関が保有する国債、地方債等への質権設定
5.制度融資に係わる預託金について、預金債権と借入金債務との相殺あるいは利子補給方式への変更
などが検討される案とか。 具体的には、
1.預金と借入金の相殺
2.国債等による運用
の二つが考えられるとのこと。しかし、国債は現在の金融状況では、元本を下回る可能性が大きく、現実的な対応策としてはとりにくく、預金と借入金の相殺が、もっとも可能性が高い対応策、との説明でした。
それに対して、「何年かかけて返還する借入金が相殺されたとしても、現実に必要な経常経費として使う預金がゼロになったらどうするのか」という質問があり、「つぶれた銀行を引き継ぐ金融機関、あるいは処理機構からの借り入れで対応することになる」との説明。
私は「地方公共団体は、経常経費に関する借り入れはできないのでは?」と質問しましたが、「短気借入れの形をとることになると思うが、まだ細部については、具体的に決まっていない」とのこと。
印象として、銀行がつぶれることはめったにない、ということを前提として考えられているのでは、という感じでした。このような勉強会に、銀行の方を講師にすることがいいのかどうか、検討すべき点だと思います。

議会運営委員会に、民主化の波は起こせるか?
(2月5日)
はじめて、議会運営委員会に出席しました。
市役所の機構改革を受けて、議会の各常任委員会の所管も、変更が必要になります。今までの分担をいじらずに、再編された部課だけを移動すると、市民経済委員会は分担が少なくなり、総務委員会と文教福祉委員会がかなり増えてしまう、ということで、前回の各派代表者会議で、委員会の見直しを行なうこととなりました。
今日の議運で、事務局から叩き台の案が示されましたが、議員みんなに関わってくる問題だけに、各派にもち返って意見をまとめ、次回の議運で決めることになりました。
ところが、某党議員より、「自由に意見を求めると、まとまらなくなる心配があるので、今日の議運でこの案でいこう、という方向性が固まった、という前提で話を進めるべき」という提案が。日頃、民主的に民主的にとさけんでいる政党の委員の発言とはと思えず、つい「それではもち帰りの意味がないのでは」と異論を唱えたところ、他の委員から総攻撃を受けました。
議会に身を置いていると、ときどき、自分の常識と議会の慣例、前例があまりにかけ離れていて、絶句状態になることがあります。めげずに、おかしいことはおかしいと、疑問を投げかけ続けようと思っています。
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