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2002年3月

都市再生法の成立で、街づくりはどう変わるの?
(3月30日)

 疑惑問題ばかりマスコミで取り沙汰されている感じの国会ですが、14年度予算案など、野党の待ったの声を聞かずに、粛々と重要法案の審議、採決が行われています。
 私がもっとも関心をもって見守っていたのは、「都市再生二法」です。いろいろ疑問点はありますが、何と言っても、民間でデベロッパーが「都市再生事業計画」に携わる認定基準として「市街地の緊急な整備に貢献」、「地域整備方針に適合」、「迅速かつ確実に遂行できる」という3項目が上げられていることです。民間にまかせれば、都市再生はスピーディーに行われる、ということなのか……。
 また、内閣におかれる「都市再生本部」が認可を決定するということであれば、あくまでも国主体の都市計画になるのでは……。
 だとしたら、春日部市でも平成11年に制定された「都市計画マスタープラン」で、せっかく、「街づくり塾」などを育成しながら、地域住民と行政が協働して街づくりを考えていこうという緒についたばかりなのに(これに関しては3月議会で質問)、またバブル期のように、民間主導の乱開発につながらないのか……。質疑の中で、一切住民参加を裏付ける答弁がなく、住民に対する説明責任だけにふれているのが、気になるところです。
 関心のある方は、是非、日森文尋衆議院議員の国土交通委員会議事録をお読みの上、ご意見お寄せください(http://WWW.f-himori.com/)。

住民参加がこんな近くの町で!
(3月29日)

 地方政治改革ネットの例会は、3月議会の報告でした。
 他の市町村の事例は、とても参考になります。とくに、今回は、私の予算案に対する賛否の仕方と似た例が八潮市でもあり、また最近の「虹とみどり」のメールでも、部分的な反対があっても、要望を付帯した賛成討論を行なえば、賛成してかまわない、という市町村が多いようです。今後はそうしたいと思います。
 吉川市の一般質問のやりかたの変更も、とても参考になりました。質問時間を40分と制限を設け、二回目以降は自席で何度でも質問してよい、という方式にしたとか。もちろん一問一答もOKとのこと。
 ところで、住民参加の街づくりが進んでいる宮代町ですが、宮代町と久喜で構成されている清掃組合の話もすごい! もともとゴミ消却施設の反対運動からスタートした住民運動ですが、以来、住民と行政が一緒になってゴミ問題を考え、昨年から生ゴミの全量堆肥化に向けての実験が行なわれたのはその一つの試みです。
ゴミ処理基本計画を策定し、循環型の街づくりの実現に努力しつつ、消却施設の規模等を考えていく、というもの。住民も粘り強く運動を続けたけれそ、それに対して行政が逃げなかったことが成功のポイントだったとの言葉に、本当にそうだと同感。反対運動から市議になった林さんが、「行政は部署転々と変わるし、定年もあるけれど、住民はこの街にずっと住み続けるのだから、住民主体の街づくりは当然」ということばもうなずけます。
 また松伏町で少子化の影響で不要になった都市整備公団所有の学校用地を刈り上げて、青少年広場設けるとか。広場として整備するだけで、とくに何も設けないので、年間2000万円の借地料+αで済むとか。
 近隣の市町村からこのような動きがどんどん起こってくるのは、とてもうれしいことです。次は我が市でも!

あなたは、豊かな自然という言葉から、どんな光景を浮かべますか?(3月24日)

 昨日の会之堀川の清掃に引き続き、今日はコミュニティー推進協議会が主催する、「古利根川一斉清掃」でした。
 生態系保護協会春日部支部の仲間の発案で、いつも対岸から野鳥観察をさせてもらっている川久保公園の下流のゴミが気になるので、区域からはずれてはいるのですが、許可を得て、そこのゴミ除去を。
 といっても、前日に風邪をひき、夜中にひどいくしゃみと鼻詰まりで眠れず、大幅遅刻。みんながどろだらけになって川岸近くのゴミを、あらかた引き上げたあとのゴミ運搬作業を手伝うだけとなってしまいました。
 しかし、夫から無理しなくていい、と言われたのに、無理矢理出かけて正解でした。唯一、春日部を流れる古利根の護岸していない箇所。川岸に生える木々からの落ち葉が敷き詰められた細い道をカサカサさせて歩くと、スミレ、 オオイヌノフグリ、ショカツソウ、ホトケノザと野の花が咲きこぼれ、春日部にもこんな素敵な小道があったのかと、うれしくなりました。
 子どものころはそこいらにあったこんな光景、今は貴重になってしまいました。
 しかし、これからはカワセミたちが巣作りをはじめるので、しばらくは立ち入りは控えてね、と念をおされてしまいました。

これは”沈黙の春”ではなく……(3月23日)

 朝、会之堀川の清掃をしていると、ウグイスの声がしきりに。
 今年は、梅と桃、そして木蓮が一緒に咲いたかと思ったら、もう桜も満開になり、ふと気がつくと、ツツジやリラの花も咲いているではありませんか。これでは春を告げる、沈丁花や木瓜、辛夷、連翹の面目が立たない、一体どうしたことか……。新聞でも、暖かすぎる春の記事が目につきます。
 カーソン女史は、生態系の異変を、鳥が啼かない”沈黙の春”と警告しましたが、樹木や草花の世界では異変が起きていても、取りあえず鳥たちは季節を知らせてくれています。
 しかし、こういう異常は、一体なんの春と形容したらよいのでしょう。

別れと出発の春(3月22日)

 16日は、子どもたちの母校である中野中学校、そして今日は近くの大場小学校の卒業式に出席しました。
 中野中で。不思議なことに、学年単位で生徒気質がちがう、つまり大人しい学年と暴れん坊の目立つ学年は一年ごと、というジンクスは確かなのか、茶髪あり、ずり下げパンツあり、校長に握手を求める生徒も目立った昨年に比べ、今年の卒業生は大人しい印象で、同僚議員と、「靴のかかとをつぶしている子が一人もいない!」と変なことろで感心してしまいました。
 今年は卒業生の発案で、3年生の合唱が2曲披露され、そのため座席の配置も例年と変わっていました。よく声の出る澄んだ合唱に、ほのぼのとした卒業式。ここらあたりから泣くだろう、という場面から、男女問わず、すすり泣きが起こってくるのは、何年たっても変わらない、卒業式風景。今の子は、などとひとくくりにしてはいけない、と思います。
 周囲でも卒業、合格、不合格のニュースが届く昨今。我が家でも長女が卒業し、アパートを払って戻ってきたため、荷物片付けに追われております。
 ところで、我が家の南、安之堀川側に特別養護老人ホーム建設の計画があり、その関係で、生活クラブ生協の春日部地区館、ケアシステム「わら細工」事務局などのプレハブが立ち退きのため取り壊されることになりました。
 不要品のオークションで、テーブルや椅子をゲット。いつも皆さんに集まっていただいている一室が、ゆったり座っていただけるように変身。なんだか、生活クラブやわら細工の思い出も一緒にいただいたようで、ラッキーな気分です。

応分の負担、自己責任、これが地方分権時代と市民が主役の市政のキイワード、と思いませんか?(3月20日)

 最終日は、議案に対する採決が行なわれますが、その前に賛成・反対の討論が行なわれます。私の場合は、質議も討論もほとんど委員会で済んでしまいます。というわけで、最終日は、各派から提出された議員提出議案に対しての質議や討論がメインになることが多く、同僚議員から「変だ」と言われることもあります。
 しかし、各派代表者会議で、議員提出議案に対しては意見を述べる機会はあるのですが、市民の皆さんに、なんで賛成したのか、反対したのかはっきり分かっていただくためには、本会議で質議や討論を行なう必要があります。
 というわけで、今回質問したのは、「高齢者医療の(多分自己)負担増の中止を求める意見書」と「ペイオフの対象から自治体を除外することを政府に求める意見書」の2議案でした。
 「高齢者医療」については、高齢者であっても、経済的にゆとりのある人が相応な負担をすることは必要。医療費のうち、三分の一を占めている高齢者医療を抑えることが今求められており、そのためには、診療報酬の徹底的な見直し、薬価基準の見直しなどの抜本的な医療制度改革が必要であり、それを求めるべきではないか。とくに高齢者独特の経済的な要素や、かかりやすい疾病などを考慮し、医療保険制度を脅かさない制度が必要で、これから策定される「高齢者医療制度」を、本当にお年寄りの実態に即したものにするよう、見守り、意見を出すほうが重要ではないか、という観点で反対しました。
 「ペイオフ」に対しては、地方自治体といえども、「地方公共団体」という法人であり、「地方自治体」だけを対象外にするのは、「公平性」という意味で問題があるのでは? と質問したところ、「困る法人はそれぞれ反対を表明すればよい」という不可解な答弁。これに対しては、「じゃ、ペイオフ反対としなければ……」という声が上がったにもかかわらず、結局、17対11で採択されてしまいました。
 いやあ、地方分権の時代は、財政の自主性を求めていかなければならないはずなのに、こういう問題だけは自己責任をとりたくない、としていいのでしょうか。納得いかない結果です。

 ところで、本会議で、はじめて退場しました。予算の採決で、賛成するわけにいかなくなってしまったからです。
 議案の一つに、「在宅重度心身障害者手当支給条例」の改定があり、私はこれに反対しました。この条例が改定されることを前提にして予算が組まれているため、私は予算案に賛成できない、ということなのです。
 今まで、予算案については修正案を提出できない以上、反対するのは無責任と考え、予算の執行に対して要望を出す、という形で賛成してきました。いつも予算に関しては、一括で賛否をきめなければならないことに疑問を感じているのですが、規則となると、いたしかたありません。もう少しじっくり、予算・決算審議のありかたについて、研究することが課題です。

超党派で政治の流れが変えられるといいですね(3月19日)

 このところ、地元の高槻・島本でばかり開かれている辻元さんの集会が、やっと東京で実現しました。
 すっかり国会の仕事の面白さにはまり、「永田町人間」になりそうな危険性がある昨今、辻元さんを「永田町人間」にしないために、と銘打たれたこの会、辻元清美さんの活動の幅広さ、交友関係の広さを証明するかのよな豪華メンバー。国会議員も超党派の挨拶が続きました。
 自分の言葉で自分の考えを、市民感覚を失わない切り口で語れる、辻元さんのような国会議員が増えたら、政治の流れが変わるかも知れない、そんな
気がしました。

 
 民主党の管直人幹事長、みどりネットの仲間新部さんと。カメラの説明をしているうちに撮られてしまい、ちょっと間抜けなショットに。

 パーティーから帰宅後のニュースで、「秘書給与の詐欺疑惑」を知りました。今は、辻元さんのことですから、自らにもし誤りがあったらそれも含めて、きちんと真相を解明してくれることを信じています。

またもやがっかりさせられた市長答弁(3月18日)

 今回は、「総合窓口を、本来の総合窓口に」という観点からの質問と、「市民参加のシステムをつくるために」という2点の質問をしました。
 総合窓口は、4月からの市役所の組織改正に伴って新設されるものです。しかしこの「総合窓口」、現在、いろいろな市町村に設けられつつある、「お役所への用事が一つの窓口で済ませられる」いわゆるワン・ストップの窓口ではなく、「総合案内所」的なものです。
 IT推進課が設けられ、役所内のパソコン処理が進む中で、事務処理の利便性や、証明書などの発行を迅速にする、という観点ばかりでなく、「総合窓口」を可能にする、という観点から、ITの推進をはかってほしい、と要望しました。
 市の施策に関しては、公募委員を選ぶ、市民と職員が一緒になてワークショップを行なうなど、少しずつ市民参加が広がりつつあります。しかし、市民が主体の策定懇話会や協議会の意見と、職員の庁内の会議の意見が異なったとき、一緒に検討する機会がないまま、決定されているのが実態です。
 市民参加、市民と協働、というなら、決定の段階までの市民参加を、という観点から質問しました。
 しかしながら、市長の答弁は相変わらず、「いろいろな意見を聞いていたら収拾がつかなくなる」というもの。今後もいろいろな角度から攻めていく必要性を感じた答弁でした。
 びっくりしたのは、市民参加の例としてとりあげた、平成11年に策定された「都市計画マスタープラン」についての答弁です。この「マスタープラン」には、「今後、地区ごとに『街づくり塾』などを設けて、地域住民が中心となって街づくりを進める」とあります。
 都市整備部長は、「現在、100回以上地区懇談会を重ねており、これを『街づくり塾』として育てていきたい」と答弁したのに対して、市長は「あのプランは市民が中心になってまとめたもので、確かに理想的だと思うが、財政のことは一つも考えられていない」ときっぱり! 市長・三枝安茂の名前でまとめたプランでは?

だれもが、自分が自分の主人公になりたいものですね
(3月10日)

 早いもので、不登校の子のフリースペースが「フリースクールりんごの木」として再出発して、1年がたちました。最初は不定期でも特別授業に参加したい、などと思っていたのですが、現実にはイベントのみの参加に留まっています。
 「りんごの木の一年をふりかえって」というイベントに参加して、改めて、教育ってなんだろう、と考えさせられました。
 スクール生のアンケートの集計で、「教科学習」や「合宿登山」といった講座が、よかったものの上位に入っている事実。子どもたちは、はたからみると苦しいと思われることでも、自分が興味をもち、主体的に取り組もうと思ったときには、楽しく、楽々とやってのける、という姿は、「やっぱり」と納得です。
 特別授業を受け持っている、高校時代に不登校、引きこもり(この言葉は抵抗があります。”まゆたて”とよびたいな、とひそかに思っているのですが)を体験した青年の「自分が追い詰められたのは”義務感”。スクールの中で、子どもたちが義務感で動いていないか、気になる」という発言が印象的でした。
 私自身は、生まれたときから「自分以外のものにならされる」子育てや教育を受けている子どもたちが気になっています。ありのままのその子の姿を受け入れること、育つ力を信じて寄り添うこと、大人の大きな役割はそこになるのではないかと思っているからです。
 そして私自身は、我が家の4人の子たちに、ついつい自分の価値観を押し付けたり、フィルターをかけて見てしまいがちな自分を、「りんごの木」の仲間(スクール生も含めて)と接するたびに、気づかされ、反省させられるのです。
 大人が”義務感”からではなく、本当に自分が自分の主人公となる生き方ができるようになれば、きっと子どもたちをとりまくいろんな問題のいくつかはなくなるだろうとは思いませんか?
 また、バイオリンの特別講師をされている年輩の会社員の男性が「最初は不登校の子に偏見をもっていたけれど、今はどうしてこんなに気の優しい子たちがここには集まっているのか、と感動している。学校なんかにはいかなくても、マスコミを騒がせているような、金もうけがすべて、権力を握ることがすべての大人にだけはならなければいい」という言葉も感動でした。

福祉の予算は特定の一部の利益、と思いますか?(3月7日)

 文教福祉委員会、予算質議で感じたこと。
 私の「福祉の諸施策は、見直すべき時期にきているというのは理解できる」という考え方は、あくまで「福祉の見直しは後退」を主張する党派からは非難をあびています。
 しかし、今まで、とくに障害福祉については、「これが足りないからこれを加えよう」という形で進められてきた感があり、実態をみると、障害をもつ人一人が、さまざまな制度を利用しながら、24時間の生活を成り立たせています。その結果、いろんな矛盾点があり、使い勝手が悪いことは事実です。
 委員会質議の中では、毎年膨れ上がりつつある福祉予算を、なんとかしろ、という論調が強いのも事実です。一番槍玉にあがるのが、「生活保護」の扶助費です。つまり、生活保護所帯と生活保護を受けないでギリギリの生活を人との逆転現象です。
 私は「広く薄く」ではなく、「必要なところに必要な手が十分届くことが、福祉の平等」と主張してきました。そういう観点から、何が今求められているのか、これは、当事者の意見を十分集めながら、徹底した論議が必要であると思います。もちろんそれが、「市」という一自治体の力だけでは無理なことなのですが……。
 たとえば、生活保護、という形で一律にくくるのではなく、とりあえず生活を立て直すまで、生活資金を貸し付ける、これは現在は「50万円」という本当に一時しのぎの金額です。そうではなくて、たとえば離婚して母子家庭になったときに、将来にわたってずっと仕事を続けられるように、学校に行ったり、技術を身につけたりする期間の生活を支え、生活が再建できたときに返済するシステム、そういったいろいろな制度をつくることで、福祉の形も変わってくるように思います。つまり「与えられる福祉」から「選べる福祉」に。
 国の「福祉基礎構造改革」が進められる中で(いまだに全貌がクリアに見えてこないのですが)、必ずしも希望ばかりはもてないことは十分承知してます。しかしこの機会に、障害をもつ人も共に地域で生きるための仕組みは? ということについて、徹底的に論議を重ねることが、今、一番大事だと思っています。
 そうしないと、「介護の社会化」や「選べる福祉」をうたい文句として進められた介護保険が、実はふくれあがる高齢福祉費や老人医療費をきりつめるためだったのではないか、と思われる、そのことと同じ轍を踏むことになってしまうでしょう。
 その議論の中で、私は他の議員や市の担当者には「障害福祉予算や高齢福祉予算を厚くしたとき、何にそのお金が回るのかといったら、介助や介護に使われるのであり、雇用を生み出す」と主張し続けています。だから、必ずしも特定の一部の利益にはあたらないのだと……。
 何よりも、福祉が充実している街こそ、だれもが安心してくらせる街であり、それが一番大切なことだと思うのです。
 すでに「福祉で市や町の活性化」に力を注いでいる自治体もあり、これといって産業基盤のない春日部のような自治体では、真剣に考えていいテーマの一つだと思っています。
 来年の介護保険の見直しも含めて、高齢・少子社会の福祉の姿について、一緒に考えてみませんか。もしも自分が障害をもったり、高齢になって、支援が必要になったとき、どんな支援の手がほしいか、というところからスタートして。


何もしないことの大切さをわかってほしい(3月2日)

 今日は久しぶりのフィールド。埼玉生態系保護協会春日部支部の仲間と、谷原の総合体育施設の隣に整備されつつある親水広場(教育委員会は春日部初のビオトープ型公園と言いたいようですが)、古利根川右岸の遊歩道と川久保公園、そして古利根川左岸の遊歩道予定地を回りました。

 谷原の親水広場は、調整池としての機能をもたせつつ、もともと湿地帯であった場所の特性をなるべく生かしつつ、広範な市民要求も取り入れたとした結果、本格的なビオトープ公園にはなりませんでしたが、従来の公園の枠組みにとらわれない、なかなかよい広場になったと思います。
 設計図の段階では、もっと水鳥が寄る環境ができるかと思ったのですが、実際に現場を見てみると、人が散策する場、あるいは犬が散歩する道と池の距離が近く、なかなかむずかしいと思いました。ただし、これからの植生いかんでは、全く不可能、というわけでもなさそうです。
 わき水を引いた池では、カルガモのつがいが、気持ちよさそうに水浴びしていました。これからは、いろんな意見を出しつつ、よい広場にしていければいいな、と思います。
<谷原の親水広場>

 一方、古利根の右岸は、というと、簡易舗装された遊歩道は、自転車や車いすが通れる道、というイメージとはほど遠く、なんのために7,200万円もかけて! と驚きました。川久保公園の前の堤防には、親水のためと銘打って、堤防と川の間に遊歩道が造られているのですが、かえって、今まで堤防の下に集っていた水鳥が寄らなくなる心配があります。
 川久保公園は、もともと雨水が自然にたまる湿地帯だったため、いくら池を掘っても今の時期は水が涸れ上がり、無惨な姿をさらしていました。もっともこちらもまだ植裁が済んでいないこと、工事のために野草が掘り起こされてしまったこと、などが原因で、2、3年たったら、以前のように虫とりの楽しめる広場になると思われます。
 それにしても、工事のために掘り起こした土を盛ったこんもりした小山を、子どもたちがまるでモトクロスコースのように楽しんでいるのが印象的でした。何も用意しなくても、子どもたちが思いっきり遊べる場があれば、それでいいのではないか、と思います。

 ここ数週間、古利根で唯一残っている、護岸をしていない一画の屋敷林で、オオタカの姿を目撃した、という情報が。今日も楽しみにしていたところ、見ました! 大空を悠々と飛ぶオオタカを! 
 そのせいか、古利根で観察できる鳥の数が、めっきり減ったような気がする、とのことでしたが、カワウ、セグロカモメ、ユリカモメ、アオサギ、ツグミ、カルガモ、ヒドリガモ、チョウゲンボウ、ヒバリなどが観察できました。

 意味のない工事に何千万円も投入するのなら、せめて春日部から次々に姿を消していく屋敷林の保護などに、そのお金を回してもらえないものかと、つくづく思った1日。お役所というのは、何としてもお金を使って、形のあるものを作りたい習性のあるところなのでしょうか。

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