
びっくり! 合併フォーラム、蓋をあけてみれば…
(9月27日)
本日、合併フォーラムが開かれました。
市の度重なる説明では、「まちづくり住民会議の皆さんがまとめた(?)『新市まちづくり構想(中間報告)』に対する住民の声を聞く、というのがこのフォーラムの重要な位置づけであったはずです。
ところが、先日の合併協議会の中で、住民会議でまとめたはずのこの中間報告が、まとまってから一度も、内容について住民会議のメンバーの検討を経ていないことが判明しました。まとめは専門的な技術がいるかとか、日数的に難しいとかの理由でコンサルタントがおこなったものなら、住民会議の皆さんで一度、検討の機会があってしかるべきです。
参加者からの質疑応答、時間の制限があるので、あらかじめ質問票に記入する形式なのはいいのですが、応える側が、ほとんど、用意されたと思われる答弁原稿を読んでいたのはなぜ? 質問票を集めてから質疑応答までせいぜい多くて5分くらいの時間しかなかったはずなのに。
これに感しては、事務局に質問状を提出していますので、回答があり次第、紹介します。質問事項をあらかじめ用意していたとしたら、大きな問題です。
それにしても、1市3町あわせて参加者が1000人ほど、議員や役所の職員を除くと、実際に住民の方の参加はいかほどだったのでしょう。合併に関する関心の低さを物語るフォーラムでした。
パネルディスカッションにお越し下さった、西東京史の総務部参事のお話によると、旧田無市と保谷市は、10年以上の年月を掛け、しかも国からの指示ではなく、お互いに合併の必要性を感じて任意の合併協議から入った、というあたりから、すでに大きな相異を感じました。
それと共に、西東京市で行われた、「住民参加」の合併協議、これは、形だけまねるのではなく、その精神をしっかり学ぶべきと、強く感じました。

9月議会が終了、児童センター建設工事契約に、ただ一人反対しました(9月25日)
最終日は、各常任委員会に付託された議案の審議結果の報告の後、議案に対する討論、採決が行われます。
委員会報告を聞いていると、その前の本会議と同様の質疑が行われている委員会もあり、いつも疑問を感じます。いかに議論するのが議員の仕事といっても、本会議で大筋の議論したら、常任委員会ではその専門性を活かして、より深い審議をすることが求められているはずなのですが…。
とくに決算審議は、使ってしまったお金の使途について審議するので形式的になりがちですが、実は市の財政状況や市の施策の方針が分析できる、恰好の材料、宝の山といっていいものです。
とはいうものの、私も今回は一匹オオカミでやってきた今までの習性が残っていて、会派を組んだ意義を十分生かせなかったと反省しております。自分が所属していない委員会の所管分については、会派の仲間と議論すべきですね。これから、予算に対する要望や予算審議の中で、会派の中で十分討議できるようにしたいと思っています。
私は市長提出の議案のうち、「児童センター建設工事の契約締結」に関する議案に、ただ一人反対しました。個人的には「あんな児童センターはいらない」という議員もいるのに、結果的には「市民要望の強い施設だから」とか、「今更反対しても」とかいうことで、賛成してしまうのは不思議です。
この財政状況の厳しい中で、4億近い資金(その内の補助金を除く財源のほとんどは借金になります)を重ねて、自然とふれあって遊ぶ、郊外型児童センターにコンクリートの建物が必要なのかどうか……。
いつも既成事実を積み重ねて、認めざるを得ない状況にもっていく市のやりかたに、どこかで歯止めをかけなくては、と思わずにいられません。
提出された議案の採決が終わると、今度は議員提出議案の質疑がはじまります。
議員提出議案といっても、今のところ、ほとんどが国に対する意見書です。
この意見書は、前もって提出されて、各派で賛成できる内容かどうか議論し、全面的に賛成できる場合は提案議員に名を連ね、一部賛成だけれど……、という場合は、提案議員にならずに賛成するだけ、反対の場合は、質疑や討論をして賛成しないことになります(質疑・討論なしの場合も)。
春日部市の場合は、この意見書を提出するのは、ほとんど政党の会派からです。私も、個人的に、介護保険導入時や武力攻撃反対など、どうしても地方議会として国にモノ申す必要がある、と思ったときには、提出したことがあり、過去二度、採択されたことがありますが…。
しかし、中には、なぜ地方からこの意見書を? と思うモノも。
今回でいえば、「携帯電話の利便性の向上と料金引き下げを求める」(公明党提出)という意見書です。これは私の所属する「新政の会」では、「民間会社の問題で、国に意見書を出すのは筋ちがい」、と反対したのですが、他の会派は全員賛成しました。
また「高額医療費の償還制度の改善を求める」意見書(公明党提出)。これは高額医療費は、自己負担限度額を超えた分について、のちに償還されるのですが、窓口において、超過分を支払わなくて済むように、というのが主な主旨。
しかし、1カ月たった段階で、医療保険診療分が限度額を超えて、はじめて対象となるこの制度、窓口で支払う段階で、高額療養費となるのかどうか、分かるかどうかについて質疑したところ、的確な答弁がなく、最終的には、「いやしくも地方議会が国に提出刷る意見書であれば、国に対して何を求めるのか、明確なものが無ければ責任が持てない」とやはり「新政の会」のみ反対、他の会派は全て賛成となりました。
だからといって、うちの会派は常に賛否は全員一致するわけでなく、『イラクへの自衛隊派兵の中止を求める」意見書は、「新政の会」では私と新部議員のみの賛成となりました。

精魂使い果たしたのか……
(9月24日)
22日の一般質問を終えて、帰宅した途端、ものすごい寒気と腰痛に見舞われて、ベッドにもぐりこんだまま、ほぼ一昼夜、飲まず食わずで懇々と眠り続けてしまいました。
知事選前後の滅茶苦茶な忙しさで、体調が優れないという自覚はあったのですが、毎日、毎日、やらなければいけないことに追われて、養生しなかった不明を恥じております。
ところで一般質問は、1回目の質問はさっくり手短に行ったのですが、その答弁に怒りが沸々とこみ上げて、2回目の質問が長くなり(それでも言いたいことの半分しか言えませんでした)、やっぱり不消化のまま……。質問項目は2つが限度かと反省しました。
できるだけ早く議事録をアップしたいと思っておりますでの、ご意見お聞かせください。
たくさんの方の傍聴は心強いものです。今回は声を掛けた方で15人、全体では20人以上の方が傍聴して下さったでしょうか。
初めて傍聴した若者から、「とてもまともな事を言っていたのだけだけれど、あんな当たり前のことを言うのが一般質問なの?」という感想が寄せられました。市民としては当り前だ思うことが通用しないから、わざわざ一般質問しなければいけないのだと答えながら、いつまでこんなことが続くのかと思いました。
たとえば、私の最後の質問で、「リースが得か、買取が得か」という比較で、事前に私が「定価で買取はあり得ない」と試算表を出したにもかかわらず、答弁で定価との比較の数字を述べたのにはがっかりです。 リース料金そのものだって、定価で設定していないのですから、リース料と同様、定価の7割の金額で買い取った試算をしなければ比較になるわけがありません。
このおおざっぱさというか、丼勘定というか……。今回は氷山の一画、コピー機で追求しましたが、今度はもっと巨額なリース料となっているパソコンについて調べて見ようと思っています。
リースというのは、ある意味、サラ金に似ています。つまり現金買取ならよくよく吟味し、財政状況を考えて、必要最小限の購入に止め、買い換えも慎重になるのに、リースだと手持ちの現金がなくても、手に入れることができるからです。
お役所の借金に対する姿勢と同様、リースについては財政的立場から、早急に見直すことを求めていきたいと思っています。

分ける方が不自然、と思うのは当たり前のこと
(9月20日)
「どの子も地域の学校へ! 埼玉連絡会」、9月のおしゃべり会がありました。
最近、ずっと参加できなかたのですが、武里西小学校の運動会が雨のため中止になったので、やっと参加できました。
たとえ障害があったとしても、地域で生まれ、地域で育ち、そして地域で暮らす子ども達が、兄妹や近所の友だちと一緒の学校で学びたい、というのは当然の思いです。しかし、この統合教育(インクルージョン)の考え方は、皮肉なことに、それまで障害の重い子は、就学免除になっていたのに、養護学校、盲学校、聾学校、特殊学級などに入学すべし、という義務化がはじまったとたんに、入学前の振り分けが行われるようになり、その子の能力にあった環境で育つのが望ましい、という思いやりや教育権といった言葉で共に学ぶことが阻まれて久しいのです。
といっても春日部市でも埼玉県でも、就学指導で「養護学校」や「特殊学級」が望ましい、と指導されても、普通学級で学ぶ子ども達が、約半数はいます。
今日は、我が子たちの母校である中野中学校に転校したという、重い障害をもつHくんのお父さんの話が、地域の学校で学ぶことの意味を、存分に表してくれたように思います。とまどいながらもさりげなく、介助の手を差し伸べる友だちや教職員の皆さんの手によって、Hくんの中学校3年間は、きっと、豊かなものになりそうな気がします。
そして、みんなとちがうHくんの姿から、ちがっていてもみんな同じ人間同士、同じじゃなくていいよね、と学校中のみんなが実感として分かってくれるのではないかと期待しています。
ちょっとでも仲間と違うことを恐れる、今の中学生達にとって、きっと、Hくんは素晴らしいクラスメートになることでしょう。
ところで前知事が、障害児も普通学級に学籍を、と指示したことから発足した「特別教育振興協議会」が中間とりまとめを発表し、パブリックコメントを求めています。関心のあるかたは、埼玉県教育局指導部特別支援教育課ホームページを、是非ごらんください。

お役所の発想を変えるために
(9月19日)
9月議会も終盤に近づいています。昨日は一般質問の3日目になりました。
この一般質問は、各々の議員が、どういう立場で議員活動をしているのかがよく分かる機会です。是非是非、一度傍聴して頂きたいものと思います。
私は22日の月曜日、午後からの質問になります。
質問は三つ、「年金問題」と「谷中小学校跡地問題」、そして役所のリース契約の実態です。
質問の主旨を提出したあと、執行部からさらに詳しい質問内容の聴き取りがあり、お互いにディスカッションしながら、自分でいわば想定問答集をつくり、最終的な質問原稿をつくる、というのが演壇に立つまでの流れです。
おびただしい資料の山を整理しつつ原稿を練るのは、本当に勉強になります。分からない点を役所の現場の、主に、課長さんや主査さんに聞きながら、というのも勉強になることの一つです。
という作業を4年半続けてきて思うこと、なぜ、お役所の発想は変わらないのか、という点です。お役所の手法にとらわれていて、市民の素朴な「なぜ」が通用しない、だから、それぞれ一生懸命に仕事をしていても、なぜかボタンを掛け違えてしまう。
「行財政改革」が最大のテーマとなっていながら、それが実現しないのは、ここにあるのでしょう。
今日も7人の議員とのやりとりを聞きながら、強烈に思いました。
住民は役所に任せ、役所にお願いする、という時代は終わり、市民と共働で、というなら、まずお役所の発想を変えなければいけないと思います。
早朝、朝刊を開き、民主党のマニフェストを読み、そして年金問題に関して、藤沢久美さんが主張する「新しい共助」のため、まず、「マクロの発想を捨ててミクロの発想を積み重ねること」を読んで、地方自治体はこのミクロの発想を積み重ねて、施策に反映させる努力をすべき、と強く思いました。
そういう思いを込めて、さあ、原稿を練ります。
谷中小学校の跡地問題については、10月11日(土)ゆっく武里で市からの説明会が開かれます。午前10時からと、午後1時からの2回です。
また9月27日(土)午後1時からは、文化会館大ホールで「合併フォーラム」が開かれます。皆さんの声を届けるいい機会です。是非是非、ご出席ください。

挫折禁止!
(9月15日)
敬老会でしたが……。そして、真夏でもほとんど冷房無しで暮らしているのに、議会中はギンギン冷房のきいた部屋で座りっぱなし、という生活でぶり返してしまった腰の痛みを治すために体を休めなくては、と思いつつ、四谷で開かれたシンポジウム「戦争をしなくてすむ世界をつくる30の方法」に出かけてしまいました。
9.11をきっかけに、「ピース・パレード」を繰り広げてきた「World peace now」のメンバーが中心になってのこのシンポジウム、あらためて、日本だけでも50以上のNPO,NGO、市民団体等が、非戦に向けて様々な取り組みをしていることを知り、心強く思いました。
150人ほどの参加者の半数以上は、若い人たち、というのもうれしいことです。
平和を願うなら、武力による解決は最も最悪の解決法であると思うなら、まず、自分が無理なくできることからはじめよう、というこの呼びかけ、とても参考になりました。
とりわけインターネットでピースパレードをよびかけた、Chance の若者たちが、「何万人もの人たちが非戦を訴えても、イラクに対する武力攻撃を止めることはできなかったけれど、そこで挫折してはいけない。あの時確かに街の景色が変わった」と「挫折禁止」を呼びかけたのが印象的でした。
先ず、マスコミの一方的は情報だけを鵜呑みにしないで、自分の目で耳で頭で、そして心で情報を集めること。その中心に、現在起こっている、様々な武力紛争のからくりを考えること、もあります。
極めて政治的な問題と思われ、思考停止になりがちな「戦争」ですが、実は私たちの暮らしが戦争につながっていることを、先ず、周りの人たちと一緒に考えていきたいと思いました。
少ない字数では、色々な思いを書き記すことはできませんが、きくちゆみさん提言していたことの一つ、「生活の中からできるだけ石油製品を追放すること」これは、今までの暮らしの延長で実行可能です。
これまでも、洗濯には粉石けんを使っていましたが、思い切ってそれもやめ、炭と塩で洗濯してみました。我が家はドラム式の洗濯機ですが、洗いとすすぎに工程を分け、すすぎの時に炭を取り出すと、きれいに洗えることを発見。一手間多くなりますが、この方法でしばらく続けてみることにしました。
二人の素晴らしい女性の生き方に、言葉に、カツを入れられて(9月13日)
午後に行われた「みどりの会議」サポーターズフォーラム、今日のゲストは、きくちゆみさんでした。
きくちゆみさんといっても、ピンとこない方がいらっしゃるかもしれません。9月11日、あのニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が突っこんだ、いわゆる「同時多発テロ」から2年たちました。
その事件の直後、アメリカが武力報復をする、という動きに対して、現役の海軍兵が「もし、アメリカが無実の人を一人でも殺すことになったら、アメリカはテロ国家になってしまう」といさめた手紙を読んで、是非この思いをアメリカの人たちに訴えたいと、ニューヨークタイムズに意見広告を出すことを呼びかけた人です。
そのときに募金のために立ち上げた「グローバルピース・ジャパン」は、ニューヨークタイムズへの広告掲載費用、1,700万円の募金に成功し、なんと10月8日のアフガンに対する武力攻撃開始の日に全面広告掲載を実現しました。
その後も続々とカンパは集まり、何紙かに意見広告を出しましたが、もっと広く、このアメリカの武力攻撃の真実を知ってもらおうと、マンガによって描かれた「戦争中毒」の日本語版の翻訳を出し、その売り上げで活動を続けています(お読みになりたい方はご連絡下さい。私の手元に何冊かあります)。
今回のイラクに対する武力攻撃を止めようと、世界中で1000万人もの人たちが非戦デモに連なった「ワールド・ピース」行動と、日本の「ピース・パレード」がつながった広がりもつくっています。
講演の冒頭、きくちゆみさんは、アフガニスタンへの攻撃後、アメリカは全ての戦闘記録のフィルムを買い占めた、と切り出しました。そして、「攻撃した戦闘機から記録した、貴重なビデオを先ず見てください」と、ビデオを流し、戦闘員の会話のやりとりを訳し、解説してくれました。
攻撃は軍事施設と、オサマビンラディンが、身を潜めている可能性のあるところに限定するはずだったのに、戦闘機の攻撃目標は、礼拝に村人が集まっているモスクの前を行き交う自動車に照準が合わせられ、爆撃しています。次には、驚いて逃げまどう村人に……。
録音されている会話の生々しさ…。
「まだ動いているぞ」「やっちまえ」「よーし動かなくなった。もうバラバラだ」
戦闘機に乗っているのはきっと、アメリカの中でも恵まれていない、マイノリティーを中心とする層に育った若者たちでしょう。そしてねらい打ちにされているのは、アルカイダとアメリカの憎悪に巻き込まれた、罪のないアフガニスタンの庶民。
まるで、テレビゲームのようにねらいうちする若者には、ベトナム戦争のときに多くの若いアメリカ兵が病むことになった心の傷は残らないのでしょうか。
そしてイラク。今アメリカでは、湾岸戦争に従軍した70万人とも言われる兵士のうち、半数が健康被害を訴え、20万人以上がガンになっていると言われるのに、アメリカ政府は劣化ウランとガンの因果関係を、未だに認めていないというのです。
湾岸戦争で劣化ウランが使われたのは、砂漠地帯でした。そも空気や土壌を汚染した劣化ウランは、砂漠の周辺のバスラの住民などに、重大な被害を与えています。しかし、今回の攻撃では、バクダッドやバスラの街の攻撃に、市街戦に用いられています。
一度攻撃時に燃焼したら、二度と水溶性に戻らず、チリの中に浮遊して体内に吸い込まれたら、汗や尿に解けて体外に排泄されることなく体内に止まり、ジワジワと体の中から放射線を出し続ける劣化ウラン。この恐ろしさをまず、世界中の人が知り、イラクの人々の救済にすぐ手をつけなければいけないと、強く思いました。
そして、被爆国日本は、自衛隊を送るより、先ず、被爆者の治療の積み重ねによって得られた治療法を、イラクの人たちのために約立てるべきだと思います。
きくちゆみさんは、これまでの多彩な活動の中で得た幅広い人間関係を元にして、このような大きな運動を立ち上げました。しかし、その原点は「私」とのこと。4人のお子さんのうち下の二人は、まだ幼い乳飲み子。そしてエコロジー運動の延長としての自給自足の生活で経済的な余裕はない、その中で、何か自分でもできることはないかと考えながら動いたことが、みんなの共感を呼び、大きな流れになったのです。
テロリストは武力攻撃で殲滅しなければ、世界平和は約束できない、という方向に世論を導こうとする大きな力の前で、武力攻撃によらない平和的な解決を求める声も力もまだまだ小さすぎるけれど、思いが、志があれば、きっと大きなうねりになることを信じたいと、小柄なきくちゆみさんのお話しを聞いて、強く思ったものです。
夜は、八潮市の男女共生大学で行われた映画「住井すゑ・百歳の人間宣言…私はなぜ橋のない川を書いたのか」を、家族三人で見にいきました。
『橋のない川』を読んだのは、高校生のとき。以来、ずっと続編を書き続け、何かの折にマスコミに登場する住井さんは、私がずっと敬服し続けてきた女性です。
住井さんの言葉通り、まだまだ様々な形で差別の残る日本は、真の民主主義国家ではないのでしょう。その封建性を切り崩すためには、差別されている側からの発言が必要です。
だから女性は「ことばを選ばず、世間をはばかることなく」、主張し続けなければいけない、との思いを強くしました。

合併協議の進め方の本質が透けてみえます
(9月12日)
議会は今日から一般質問に入りました。
共産党の秋山議員が、市町村合併について質問。ところが、あとで秋山議員がぼやいていたように、せっかく質問を15分もかからないほどにまとめたのに、答弁が延々と30分も続き、再質問のつっこみが不十分に。私もいつも悩む所ですが、再質問で突っこもうと思うと時間が足りなくなり、だからといって、一回目の質問を詳しくすると、議論が深まらない……。
早く質問時間にしぼった持ち時間制にしてほしいと、切実に思います。
ところで、秋山議員の質問に対しての答弁中、「住民会議はあくまでも住民代表が自由に意見を述べる場。あくまでも合併に関する協議の責任を持つのは合併協議会」という答弁がありました。
では、なぜ「住民会議」のまとめた「新市まちづくり構想・中間とりまとめ」が合併フォーラムや住民意識調査の資料に供されるのか? 少なくとも内容について、協議会の審議を経るべきではないのか? 様々な疑問が生じます。
住民参加の形ありきの「住民会議」の設置には、最初から大きな疑問がありましたが、そのほか2500項目以上にも及ぶすり合わせ事項についても、専門部会が調整を進め、協議会で協議されるのは、ごく重要なもののみ、という見解も示されました。
では一体、協議会に図るか否かを決めるのは誰?
ここにきて、行政主導の合併協議、という本質が、露わになってきています。私は政策課と事前に打ち合わせの結果、今の感触から、質問をやめたのですが、こういうことなら、質問すべきだった方、ちょっと後悔。
しかし、「後悔」では無責任です。違った角度からの議論を起こしたいと思っています。

市が中心なのか、市民が中心なのか
(9月9日)
今日から質疑は委員会に移りました。私が所属するのは総務委員会です。
14年度の決算に関する、私の質疑のポイントは、まず、今まで公債費比率が15%を超えた場合は、新たな起債は管理が必要な危険水域、とされていたのに、なぜ、14年度の決算の監査意見書で、公債費比率から事業費等の市債を除いた起債制限比率が15%を超えたら、新たな起債は管理が必要、となったのかということです。
ちなみに14年度の公債費比率は13.8%、毎年0.5〜0.6%アップし、公債費のピークも年ごとにずれ、今の予測では平成18年度とのこと。
財政部長の説明によると、市町村の財政状況を正確に判断するためには、借金のうち、国が地方交付税の基準財政需要額に算入される分を差し引いた方がいい、とのこと。
ただし、これでは国が肩代わりしてくれる、といっている分の借金は、見えにくくなります。それでもなくても国の地方交付税特別会計は破綻に近い状況なのに……。
合併後に合併特例債を使うとしても、公債費比率によっては特例債を使えない、ということもあり、これを起債制限比率に変えたのかと勘ぐってしまいましたが、財政部長は、公債費比率と記載制限比率の両方を視野に入れながら、起債については考えているとのこと。
それにしても「現在の市の財政では実現できない市民要望を、合併して、合併特例債を活用することによって、実現可能になる」という市長の言は、限りなく?です。もちろん、私個人としては、今財政的に厳しくてできない事業を行うために合併するのは、反対です。合併特例債が、いかに後年度、国から70%補填されるとしても借金に変わりはないのですから。
もう一つ、補正予算の中で「50周年記念事業費」が計上されています。これは金額的には640万ほどの予算ですが、50周年式典に招待するお客様や、近隣の自治体に記念品として配るDVDを作成するというもの。
テレビ放映も含めて、政策・編集をテレビ埼玉に委託するのだそうです。
質問したところ、前もって、給の総務委員会にはかったわけでもなく、「50周年記念事業実行委員会」で煮詰めた案でもないとのこと。
なぜ、これが突然予算案として計上されるのでしょう。折角の市政50周年という節目の時に記念事業として行うのなら、若い世代中心の製作チームを募ってもいいし、それぞれの作品を募集してコンテストにしてもいいのに、と思います。それが話の種になって、若い世代の関心も呼ぶのでは?若い人に映像に対するセンスは、我々世代の想像を超えるものがありますし、いかに技術的に優れたプロがつくろうと、春日部で生まれ育った人の視点に優るものがあろうとは思えないのです。
記念事業を仕切る市の執行部や職員が主役の50周年なのか、市民が主役の50周年なのか、もう一度考え直してほしいと痛感しました。
今回の一般質問のうち「リース契約」と「谷中小学校跡地」の問題では、さらに、この官と民の温度差について切り込みたいと思っています。

予定調和の合併論議は不要
(9月8日)
合併協議会を傍聴しました。
まず最初に、1日のこの欄で批判した「新市まちづくり構想」(中間とりまとめ、について報告がありました。それについて、「住民会議」の委員から、「なぜ、最終的に合意が得られなかった点も含めて、このような形にまとめられたのか」という抗議があり、ホッとしました。
「住民会議」で8回に及んで真剣な議論が重ねられたのなら、なぜこのような机上でまとめられた作文のような、個性のないとりまとめになるのか、不思議でならなかったからです。
その後、合併フォーラムに関して、「協議会の報告」のところで、どのような報告になるのか、あらかじめ協議会委員に示されないのはなぜか、という指摘も出され、改めて、事務局中心の合併協議なのではないかとの疑義をもちました。
フォーラムを前にしたこの協議会に、フォーラムの進行役である「学識経験」委員が出席していないのも ? です。今まで他市での経験があるから、生の意見を聞かなくてもいいのでしょうか?あくまでもこの合併は、春日部・庄和・杉戸・宮代の1市3町の合併のはずなのに……。
17年3月という期限最優先、初めから合併ありきの議論の進め方では、住民の関心が高まりようもありません。
今後も議論の進め方は見守る必要があると、強く感じました。

現実と理想の狭間で大切なこと
(9月7日)
「教育を考える会かすかべ」、本日の例会は、都立梅ヶ丘病院精神科の尾崎純子先生をお招きし、「ADHD」って何? というテーマの学習と意見交換会でした。
「ADHD」(注意欠陥多動障害)にしても「LD」(学習障害)にしても、もともと軽度の脳の気質的障害によるものですが、その著名な症状をみても、「うちの子にも当てはまるじゃん」(当日の参加者からは、自分にも当てはまることだらけ、という声も)という程度ももの。それが、友だちなどと人間関係がうまくつくれなかったり、集団行動がうまくとれないことによって、「ダメな子」という扱いを受けているうちに、だんだん、性格的な問題になってくることが、事態を深刻にします。
尾崎先生のお話を伺う前は、「治療の対象になる」ということに拒否反応があり、「そういう子はそういう子の個性として受け止める環境作りが問題」と考えていたのですが……。
大変な時期に薬物を用いることによって、「なんだ、やればできるじゃん」「自分にもできるじゃん」という達成感をもつことで、事態が好転していく事例をお聞きしました。
あくまでも、集団の中で問題行動が見られるときにその解決策として、という限定ですから、土日は服用を休み、中学生以上は依存性が生じるため使わない、というお話しに、厳重な管理の元では、治療も必要なのかと考えました。
お年寄りの痴呆も同様ですが、ありのままを受け入れる、ということは基本的に必要であっても、周囲の人間は仏でも観音様でもなく生身の人間、互いに抱えきれない重荷にならないよう、うまく専門家、あるいは第三者の力を借りながら、力まず関係性をつくっていくことの大切さを再認識しました。

決算質疑、使ったお金ですが、今後の方向性を考えるよい機会です(9月3日)
28日から議会がはじまりました。28日は執行部による議案の説明、29日(金)と1日(月)は会派で議案の勉強会に取り組み、資料だけで分かりにくい点については執行部に質問しました。
その上で、議場で質問して明らかにした方がよい点について精査して、質問項目を決めます。
何しろ、1年分の決算ですから、膨大な量です。個々の課題については付託された各常任委員会で質疑する機会があります。その辺の兼ね合いを考えて、お互いに他の議員の質問も参考にしながら質疑するのがマナーだと思っています。
ところが、本日冒頭から、質疑の打ち切り動議が出されて議会が中断し、1時間にわたって議会運営委員会が開催されました。本当は、出直し知事選の原因となった、土屋前知事長女が代表をつとめていた「日本サクラの会」に春日部市が1万円の年会費を払っていたことに対する質疑だったらしいのですが、いきなり、知事親子の疑惑の話から切り出されたためです。
前段をカットして、本題から入って仕切り直しの質疑が始まりましたが、せっかく質問しているのに、「サクラの樹木管理棟の情報提供が得られるので、加盟する価値がある」とする会なら、なぜ、平成6年度から急に入会することになったのか、その辺の経緯を突っこんで欲しかった、と思いました。
どうも、主張することに異議あり、としか思えない、質疑にならない質疑や、どうみてもこれは決算に対する質疑ではなく、一般質問でするべき事項と思われる質問が延々と続くと、議会の議論はきちんと聞くのが仕事と思っても、猛烈な眠気がおそってきます。
それぞれ貴重な時間を割いて議論に臨むのですから、質疑は質疑に限定、としている申し合わせは守って欲しいもの、と思わずにはいられません。
そのあおりを食って、私の質疑は5時過ぎになりました。もうみんな、うんざりした気分が漂っています。
私は保育所関連の国と県の補助事業の内容、介護保険の在宅介護支援センター事業の内容、武里西小学校建設による電波障害の解決策、そして都市計画に対する委託費についての4点を質疑しました。
都市計画に対する委託費は、つまりは、調査や住民説明会といったところの実施をコンサルタント会社に委託するのですが、問題は、計画策定までが契約内容に入っていることです。平成14年度は3つの計画に対して計2千万円の委託費となっています。
最近、市がまとめた計画案の、何と無難で個性のないことか、と感じることが多いのですが、これはコンサルタント会社任せが要因となっているのではないかと思います。
合併問題の新市建設計画など、一つ一つの計画に対して厳しいチェックの眼を光らせる必要性を感じています。
皆さんも、市から計画案が示された段階で、是非、一緒に声を上げてください。

「新市まちづくり」の中間まとめに異議あり
(9月1日)
午後から、議員で構成する「合併検討委員会」が開かれました。これでやっと、協議会の前に議員で話合う機会を、という申し入れが実現することになります。
それに先立ち、午前中に、合併したら、議会をすぐ解散するかどうか、議員定数は何人にするのかについて、会派で話し合いがもたれました。理想としてはすぐに解散し、定数も思い切って削減するべきだと思います。
しかし、圧倒的に人口の少ない3町のことを考えると、合併後せめて1年くらいは、現在の議員が新市のスタートに責任を持つべき、という意見にも利はあります。
ところで、8日の協議会に提出される「街づくり住民会議」のまとめた新市建設計画の中間まとめをみて、正直がっかりしました。現在の1市3町の抱えている課題は何か、それについて、合併したら新しい市の特徴を生かしてこういうふうに課題を解決していこう、という提案が、まったく感じられないのです。
住民会議は、各分野ごとに公募員を募り、それぞれ自分が興味のある分野、あるいは専門性をもつ分野で提言できる会議にすべき、と主張したのですが、それが受け入れられなかったのが、残念です。
いずれにしても、この中間とりまとめは市民の皆さんにも示されますから是非、声を出してください。

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