
有権者の意識は、確実に変わっているのに
(1月31日)
海外視察の折、踏み外した夜遊びをした県会議員に対して、「市民ジャーナル」が事務局となり、県内の市民団体や個人が、辞職を求める署名活動をしています。
今日はその連絡会議があり、春日部市議会の報告をするため、出席しました。今のところ、集まった署名は4000人強、しかし、街頭で署名を集めている方からは、「今までいろんな署名活動をしてきたが、こんなに進んで署名してくれるのは初めて」と驚いていましたから、県議会が始まるまでには 春日部の議会では、「(買春の事実の有無の)真相究明が先決」とする彩政会と、「報道された事実だけでも、十分、県議としての倫理綱領と男女共同参画推進条例違反」とする女性議員を中心として提出した「辞職勧告決議」に賛成する議員が、真っ向から対立する形になりました。
もちろん、有権者の中には「春日部市発展のためには、実力のある県議が必要」として、今回の件だけで辞職を求めるのはいかがか、という声もあります。しかし、「今の時代に、まだ、こんなことをする、その時代感覚のなさは政治家としての資質に欠けるもの」とする有権者の大きな声になっています。
この有権者の意識と「辞職勧告決議案」を否決して、単に「自戒反省を求める」決議案を採択した県議会の意識のズレ、そこを認識してほしいと思っています。
議会の常識=世間の非常識、それを一つ一つを質していくことこそ、政治の浄化につながっていくことと思っています。
今後は署名活を集約して請願を提出すること、さらに件の県議と話し合いの場をもつこと、そして市民オンブズマンが中心になって、視察経費の情報公開を求めていくこととなりました。
署名活動党に協力頂ける方は、ご連絡下さい。

暦の上の春は、もうすぐ
(1月30日)
このWebあてに、何通かメールをいただいているのですが、本文がなかったり、アドレスがないため、返事ができずにおります。出来るだけ、アドレスを記していただけるとうれしいな、と思います。
相変わらず、会合などのない日は、「風のたより」をお届けに伺っています。今回は、腱鞘炎が治りきっていないため、自転車で回るのはちょっと厳しく、全戸配布する地域はポスティング会社や「参加する会」の皆さんに委託してしまいました。
私は専ら夫や友人に協力してもらって、車で回っています。
寒風の日もありますが、お陰で、たくさんの蝋梅を目にすることができました。あちこちのお宅で水仙が咲きほこり、沈丁花の蕾も、ずいぶんふくらんでいます。また、今日は菜の花やヒヤシンス咲いているお宅がありました。暦の上でも立春はもうすぐ。まさに「冬来たりなば春遠からじ」といった季節です。
我が家の庭にも、今年もまた、メジロがやってきました。メジロの親を自認している夫が、早速、撮影です。


持続可能な社会への転換は、急務のはずなのに
(1月29日)
(財)日本生態系協会が、昨年秋から、「21世紀の新しい国づくり・まちづくり」を実効性あるものにするために、国会議員・地方議員を含めた政治家に向けて、様々な情報提供を積極的にはじめました。
今回の「政策のアゴラ」は、協会側から一方的に情報を提供するのではなく、集った人も交えてディスカッションしながら、情報交換したり、意見交換したりするものです。
今日は1回目とあって、西は豊中市から東は郡山市まで、集まった議員の方々の取り組んでいるテーマを含めての問題提起がありました。
どこでもぶつかるのは、行政の意識の壁です。たとえば、松戸の市議から報告のあったケースは、偶然、夫の同級生の家で、以前から情報が届いていたのですが、その方の屋敷に隣接するいわゆる「赤道」を1メートル拡幅して道路にするために、屋敷林を切り倒してしまうという計画です。これは40年前の都市計画に基づくものだそうで、環境保護の観点からずいぶん反対運動が起こったにもかかわらず、ついに切り倒されてしまったそうです。
我が家の目の前の中之堀川沿いの、植木屋さんの屋敷林も、川沿いの道を広げるために、1年半ほど前に伐り払われてしまいました。
石油資源はもっても30年、もう15年ほどすれば不足してきます。これからのまちづくりには、脱モータリゼーションは不可欠なはず。
地球温暖化対策のためにも、なんといっても持続可能な社会のためにも、今ある自然環境をこれ以上壊さない施策に、真剣に取り組まなければならない時代になっているはずなのに、行政の認識はどうなっているのでしょう。
私も合併後のまちづくり計画の中で、具体的に考えていこうと思っています。

すったもんだの末の、決議案可決
(1月27日)
新聞報道にありますように、昨日の臨時議会で、すったもんだの末、夜8持にやっと、「辞職勧告の決議」採択されました。
表向き「疑惑の段階で辞職を求めるのはいかがなものか」と主張する「くだんの県議派」を擁する最大会派(10人)の彩政会と、「放映された事実がすでに、県条例に違反し、倫理にももとる行為」とする女性議員プラス新政の会・共産党の綱引きでした。
昼過ぎに「辞職の文言を出処進退を明らかにすることを求める」としてくれれば全会一致、という申し入れがあり、本文の主旨を変更しないのなら可、としたにもかかわらず彩政会の中で主張が二分し、最終的に本文の訂正が無ければ無理、という結論が出たにもかかわらず……、質疑応答の中で、彩政会から、「主旨には賛成だが、文章表現上に問題がある」という発言が飛び出し絶句。だったら、事前に協議しているときに、十分すりあわせの機会はあったはず。
最終的には、「不用意な行動」という噴飯物の認識で出された彩政会の「さらなる自戒・反省を求める」決議案と、私たちの出した決議案の両方に公明党が賛成し、どちらも採択される、という奇妙な結果になりました。
このドタバタの原因はどうも、朝から日本テレビが張り付きで取材していたせいではないか、と勘ぐりたくなるというものです。
午後になると、若手議員から「もうこういう政策以外のところですったもんだしてもめるのはやめてほしい」とため息が出、5時を回ると傍聴に詰めかけていた市民から怒りの声が出ました(つまり、彩政会が意見調整している間は、暫時休憩状態に入ってしまうので)。
決議文書は、以下の通りです。
★決議文
「産業・防災アジア行政視察」において、倫理にもとる行動をした議員の辞職を求める決議
昨年末テレビ放映によって、埼玉県議会「産業・防災アジア行政視察団」の一行6人が、視察先のベトナム、タイで明らかに風俗店と思われる場所に行き、女性を指名して別室に行った事実が判明しました。
公務として派遣されている視察先でこのような行動があり、また、この事実から「買春行為」があったのではないか、という疑惑が生じて大きな社会問題になっております。
今日、アジア女性に対する日本人の「買春」が、国際的にも批判を受けており、国際問題となっています。さらに国内でも少女買春などの性の商品化が重大な社会問題となっています。このような時期に、全国に先駆けて「あらゆる分野における女性に対する差別の解消を目指して、女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃」のための取組として、「男女共同参画推進条例」を制定した埼玉県の議員として、風俗店で女性を指名し、個室に同伴したこと自体が、この条例の趣旨に背く行動であったと言わざるを得ません。
また、県議会議員としての自覚と努力を規定した埼玉県議会政治倫理綱領(1994年7月8日)の第一「われわれは、県民の信頼に値するより高い倫理的義務に徹し、政治不信を招く公私混淆を立ち、清廉を持し、かりそめにも県民の非難を受けないよう政治腐敗の根絶と政治倫理の向上に努めなければならない」とする条項に明確に反する行為であると指摘せざるを得ません。
よって、春日部市議会は、本件によって生じた県民の批判の声、及び政治不信のたかまりを受け、以下2点にわたって決議します。
記
1.県議会において疑惑の徹底した真相究明を行い、県民に明らかにすることによって信頼の回復に努めること。
2.条例違反を犯した当該議員の辞職を、強く求める。
日本テレビの記者に、「今度の事件は、春日部の政治的な面で、どのような影響があると思いますか」という質問を受けました。
一部新聞報道にあるように、春日部の中での保守系の議員の派閥争いは、私には関係がありません。ただ、一点、県議会が「自戒反省を促す」決議に留まってしまったことが、多くの県民の怒りの源になっています。ベトナムで、タイで、報道された事実があったということだけで、もう当該議員の時代認識のなさが露呈しています。またさらに、倫理綱領に反しています。その重みを感じていない議会や当該議員に対して有権者の批判が強まっているのです。
この有権者と議員の思いの違いが、もう通用しない時代になっていることを、今回の件は明らかにしてくれたと、私は思っています。

年金問題にもっと怒りの声を
(1月25日)
「虹と緑の500人リスト」関東ブロック政策研究会がありました。
今回は電子政府構築のための「公的個人認証制度」についてと、「年金」問題の2本立てでした。
西邑さんの個人認証制度は、長野県の住民基本台帳ネットワークの侵入実験の結果とも関連して、あらたな「個人情報保護」のためのセキュリティ対策が必要だということがなっとくできるものでした。もっと勉強が必要です。
もうお一方は、今、社会的に大きな反響を呼んでいる「年金大崩壊」の著者、岩瀬達哉さんでした。「年金大崩壊」を読んだときも、怒りが沸々と湧いてきましたが、岩瀬さんのお話しを聞いて、さらにこの国の行政の実態に愕然とする思いでした。
私たちの年金の掛け金から、実は毎年1900億円もが「福祉施設事業費」として抜き取られ、全国289カ所もの「天下り施設」と呼ばれるいわゆるグリーンピアという施設の建設、運営に当てられていること、その施設で2312人もの天下り官僚が、一人当たり年間600万〜2600万円物給与で養われていること。
年金基金が枯渇しないように積み立てられているはずの基金が、実は運用の失敗から累積で6兆円超も目減りしていること、それだけでなくこの基金運用のために年金官僚OBやプロパー職員の人件費として年間約11億500万円、管理費や事業費として約630億円も持ち出しになっていることなど、驚くべき実態が判明しています。
これで果たして「負担と給付」のバランスだけで年金改革を進めていいのか、誰にでも分かる理屈です。
掛け金を上げたり、給付を減らしたりする前に、まず、納められた年金の全てがきちんと給付に回るシステムに変えることが必要でしょう。
この問題に関しては、もっともっと、怒りの声をあげようではありませんか。

「共に育つ」ということ
(1月24日)
「教育を考える会・かすかべ」の例会は、前回に引き続き、「ADHD」やLDといった、いわゆる学校生活に適応できない子どもたちの問題について、主に現場の実態を中心に話し合いました。
日本では、まだこの問題が取り上げられるようになって、日が浅いのですが、社会問題になって10年以上を経過しているアメリカでは、治療法も進んでいて、それを紹介する著書の邦訳も出版されるようになってきました。
この会で以前、日本における、ごく少数の専門医である、都立梅ヶ丘病院の尾崎純子先生のお話を伺いましたが、ADHDの場合、障害そのものよりもむしろ、行動の特異性ゆえに「だめな子」とレッテルを貼られ、受け入れてもらえないこと、場合によってはいじめの対象になること、などから引き起こされる二次障害の方が、実は大きな問題であると指摘されました。
そして、その二次障害を防ぐ意味で、適切な投薬治療を行うことによって、いわゆる問題行動を抑制できれば、その後十分、社会適応が可能である、とおっしゃっていました。
LDのお子さんの事例でも、認識障害による学習のつまづきがコンプレックスになり、そのコンプレックスによる二次障害が実は、将来まで障害をひきづってしまう、と聞いています。
それを防ぐ意味での薬の使用は、やむを得ないと思うのですが、問題は、その子のために、特別に支援員をおかなければ、地域の学校で受け入れが不可能なのかどうかということです。「現場の先生が大変」、これが、障害を持っている子が地域の学校に通うことを望む場合の、最大のネックになっています。
私は、先生が丸がかえするのではなく、その子の所属するクラスの子どもたちが、どれだけその子との関わりをもてるのかによって、変わってくるのではないか、思っています。
以前、武蔵野市で自閉症の子が普通学級に通っている事例をみたことがありますが、どんな場面になったらその子が教室を飛び出すのかをクラスのこたちが経験で学び、その子が教室を飛び出さなくてもいい流れをつくっていった、とのこと。
障害をもっている子が地域の学校で学ぶことの大切さが、実はこういうところにあるのだと思っています。
もうひとつ、以前育児雑誌で、長年、障害をもっている子の子育てについての特集企画を受け持っていた経験から、障害があるかないかは極めてなだらかな傾斜上にあり、障害児とを極めて個性豊かな子、というように受け止めるなら、障害のある子にあわせてクラスの運営をすることが実は、障害をもたない子に対しても何を求めているのか、何ができて何ができないのかをしっかり見ていくことにつながるのではないか、と思っています。
障害児が学校生活に適応できない理由の一つが、実は、学校自体が何十人もの個性のちがう子どもたちが、一定の時間に一定の課題をこなさなくてはいけないシステムになっていることの不自然さにあるのではないか、と思うとき、障害をもっている子の就学の問題を通して、学校というもののあり方が今、問われているように思ってしまいます。

目標は「がんばらない片山」ですが
(1月23日)
ある席で、「議員さんは、議会のないときもそんなに忙しいんですか? 一体、何をしてるんですか」との質問を受けました。
私の活動記録では、実は、議員活動と直接結びつくことしか報告していません。その余白には、会合や勉強会の資料整理、あるいは自分の課題の資料集め、情報交換のためのメールのやりとり等があります。
また、このWEBの書き込みや、手紙への返信等々。
議会後の一番の課題は、議会報告の作成です。議事録を起こすことによって、会期中の整理をし、「風のたより」の編集作業にかかります。ある程度まとまった段階で「参加する会」のメンバーに目を通してもらった後手直しし、完全な版下にして印刷屋さんに渡します。
出来上がってかは、「風のたより」の配布、という大仕事がまっています。ここ2回ほど、「旧谷中小学校跡地問題」を取り上げているため、2万部以上刷って、できるだけ武里地区に全戸配布できるようにしています。
春日部市では、政務調査費を議会報告に当てることはできないため、印刷も配布も、全部自己負担です。できるだけお金をかけないで、できるだけたくさん配布したいと、仲間の皆さんの応援をいただき、同僚の白土議員とバーターしてお互いのレポートを一緒にポスト・インするなどしてやりくりしています。
とても毎回、市内全域は回りきれないので、地域を決めて、できるだけたくさんの方に直接お目にかかりながら手渡ししたいと思っているのですが、半日時間がとれてやっと20〜30軒訪問できるかどうか、というわけで、思いはあっても、実行にはむずかしいものがあります。
遠い地域の方には郵送になってしまいますが、今回、うっかりミスで住所録ファイルが消えてしまい、選挙後の更新部分を入力し直す、という悲惨な事態になってしまいました。
というわけで、やることは山のようにあります。
さらに、私がめざしているのは、「普通の暮らしをしている人ができる議員活動」ですので、家事も手が抜けません。
今年の目標は「頑張らない片山」でゆとりのある活動を目指しているのですが、さて、実現は?
新市の名前に象徴される、合併の問題点
(1月20日)
新しい市の名前が春日部市になったことに関して、宮代町の方から反論がありました。私の物言い、やっぱり誤解を招く表現でったのかもしれません。
私は、春日部市だけが歴史や由緒のある地名だと思っているわけではありません。宮代、杉戸、庄和を含めて、1市3町の名称が、簡単に「東埼玉」や「春日野」といったなじみのない名前になってしまうことに、とても抵抗があったわけです。
これから、市の名称以下の町名等について協議されるわけですが、宮代などは、たとえば春日部市宮代町、として宮代の名称を残すことはできますが、春日部はもし「春日野」市などの新しい市名になったら、すっかり消え去ってしまうことになるので、そういう意味で春日部の人にとっては、「良かった、良かった」という結果になるわけです。もちろん、春日部市宮代町、となることに、南葛飾郡宮代町から変わるだけ、と思えない、抵抗を感じる町民の方もたくさんいらっしゃることでしょう。
しかし、合併の実態は、実はこのように、長年慣れ親しんできた市や町の名称が消えることに象徴されるように、今までつくりあげてきた地域性が危うくなる、というものでしょうから、私は今もって、行財政改革以上のメリットがこの合併にあるとは思えないのです。むしろ、デメリットのほうがずっと大きいと思っています。
もう何度も言ったような気がしますが、もしメリットがあるとしたら、合併の是非も含めて、住民が、自分たちの住んでいる地域の将来像をどう描くのかにあると思っています。
7月の住民投票までどう真剣に議論していくか、それが私たちのやらなければいけないことなのでしょう。とくに、合併はもう既定の事実、みたいな雰囲気が濃厚な春日部市では、「人ごと感」をどう払拭できるのか、それが課題です。

新しい市の名前が「春日部」に決定しました
(1月19日)
第12回の合併協議会で、新しい市の名称について、投票がありました。
第1次は、10あげられた候補名称について、1位10点、2位9点〜10位1点という評点で22人の協議会委員が投票。その結果、1位は「春日部」151点、2位は「春日野」102点、3位は「埼葛」64点、4位は「東埼玉」59点、5位は「古利根」42点(以下略)という結果になりました。
第2次は、1位から順に、22人の委員が支持するかしないか投票し、三分の二の支持を得た名称に決定する、というルールになっています。
しかし、1位の春日部が15人の支持を得たため、1回の投票で「春日部市」に決定しました。
春日部市となったことで、他の3町の住民の方からは、「これでは春日部市に吸収合併されるようなもの」という反発が出ることも考えられます。
これについては、協議会の議論の中でも、「そうならないよう、新市建設計画や合併後に設けられる地域審議会を機能させることによって、実質的な対等合併を進める努力をする」ということを、改めて確認しました。
もう一つの反発は、「ではなぜ、新市名称アイディア募集の時に、わざわざ旧市町名を除いたのか。これでは形だけの住民参加ではないか」というものです。確かに、そのような印象がありますが、しかし、最初から旧市町名も含めて住民アイディア募集としたら、人口規模が圧倒的に多い春日部市が有利になるに決まっていて、公募の名に値しないものになってしまいます。
以上の反対意見も頭の中をかすめながら、しかし、私は今回の決定は、実は画期的なことと思っています。「対等合併」にこだわるあまり、由緒ある地名や歴史的な地名が無くなり、「東西南北」が冠された市名や、平仮名の市名(カタカナもありましたね)、構成町村の頭の文字を連ねた市名などが続出するのを見ていて、疑問を感じていました。
確かに「名は体を表す」と言いますが、そういう住民感情を抑え、大局的な見地で歴史のある名称を新しい市の名前として選んだ、という見識は、評価に値すると思っています。
また、「春日部」という名前を選んだことによって、一層、中味を「対等」にする責務が重くなったと言えると思います。
もう一つ、今回は報告事項でしたが、合併後、議員に関して「特例法」を適用するかどうかの議論がありました。これについては各市町の議会で議論した結果を調整して報告し、それを踏まえて事務局が最終的に案を提出する、ということになっています。
さて、議会間の調整の結果は…「新しい議会の定数は46人。ただし在任特例を適用する。期間は1年7カ月から2年の間。報酬については、1市3町の首長官の協議に委ねる」というものです。
この報告に対して、当然のことながら住民代表を初めとする各委員から異論続出。情けなく思ったのは、議会選出委員から、なぜこのような調整結果になったのかという根拠を、理論的に説明できなかったことです。
ただ一人、宮代町議の林委員から、民主制の観点から即解散、選挙としたときに、3町の議員が激減する可能性があることの問題点や、行財政改革の観点からのみ定数を削減するのではなく、民意の反映出来る人数という観点からの定数の決定が必要である」旨の発言があったのみでした。
各委員の発言の中で、「議会選出委員の発言を聞いていると、現在95人の議員を何人まで減らせるか、という議論をしているように思える。しかし我々住民が求めているのは、何人議員がいれば、我々の求める議会として機能するのかという決めかたである。議員側がその意識の違いに気がつかない限り、本当の改革は望めない」という指摘が印象的でした。
さまざまな議論を踏まえ、次回は事務局が複数案を作製して示し、協議会に諮る、という方向が生まれたことは、とても喜ばしい限りです。
春日部の実情を見ると、規模の大きい春日部が発言することによって、3町の人たちの反発をかってはいけない、という遠慮が、まず先に出ているような気がします。しかし、私は、一人の議員として、この合併全体を見通して何がよりよい判断なのかを常に選択し、意思表明するべきだと考えています。
ご意見、聞かせてください。

異論・反論もうれしいものです
(1月18日)
「個人的な考えだけれど、自衛隊の先遣隊は遅すぎると思う」というメールをいただきました。ただし、「自爆テロで不安な毎日を送る市民・学校へ行けない子どもたち・水も満足に飲めない」そんな生活を送るイラク国民のために、政党や宗教にとらわれず早急に対応することが必要、他国の顔色を見ながら判断するのではなく、日本が独自の路線で、という見解のご意見です。
佐藤好美さんのお話を伺った時も考えましたが、今、イラクに国際的に支援の手が必要なことは明らかですが、私は、では一体、どのような援助をするのがもっともよいのか、その論議がなしに、初めから自衛隊の派遣ありきで進んでしまったことの是非を、もっともっと論議する必要があると思っています。
昨日は「みどりの会議」の首都圏サポーター議員会議で、また、素敵な議員さんと知り合いになれました。
今日は、CILわらじ主催の「市民福祉講座」。「分けない、分けられないまちをどう創る」というテーマで、大学院生のI君が昨年末アメリカを訪れて触れてきた、アメリカの「ノーマライゼーション」と「インクルージョン」の実態。そして精神障害当事者であり、国際的な精神障害者の自立運動に関わっているU青年の報告。この二つから、「分けない、分けられない」ことについて、共に考えました。
I青年の、「障害者でも機会は均等に与えるよ、だけど、均等だから競争もしてもらうよ」というの^−マライゼーションに対する疑問が新鮮でした。
その後、重度の障害を持ちながら、地域の中学校に通っているTくんの「スキー林間」参加問題で懇談しました。ふだん介助に入っている「支援員」は、宿泊旅費を伴う介助ができないため、Tくんが参加するためには家族が付き添うか、自前でボランティアを頼んでついていってもらうか、今のところその二通りしか方法はなさそうです。
スキー研修は無理でも、クラスメイトと宿泊を共にすることで、また、新しい関係性が望めるかも知れませんが、家族付き添い、という前例をつくりたくない、というご両親のためらいも分かります。
いずれにしても、もう少し、学校側との話し合いの積み重ねが必要名用です。

うれしいメールが次々に
(1月15日)
新年ということで、懐かしい方からのメールが次々に届きます。
高校時代の友人で、短大卒業後、ミュンヘン大学に留学したまま、ずっとミュンヘンに住み、仕事を続けながら、結婚、3人の子どもを育てた人がいます。彼女は、ミュンヘンオリンピックの選手村跡地に、新しい居住空間をつくるプロジェクト・チームに参加しています。広大な敷地を、高齢者と共に暮らす居住区、子育て中の人たちが暮らす居住区、障害を持つ人と共に暮らす居住区、自然と共生する居住区と、四つのブロックに分け、そこに住みたい人たちがどのような共同住宅を建てるのかから、議論してまちづくりを進める、という壮大なプロジェクトです。
スタートからかれこれ6年経ち、やっと今年の暮れには建物が完成するとのこと。その報告には「このプロジェクトは、実は次の世代のため、未来のため。どんな時代にも人間の繋がりというものがどれだけ大切なのか。やればできる! 一人ではなく皆で力を合わせれば実現できる」ということを次世代に示したい、とのことでした。人間の繋がりを大切にすれば、戦争なんか起こりっこないのに、という彼女のつぶやき、私たちの世代が、真剣に若者に理想の世界は実現できることを示していかなければいいけないと、改めて思いました。
もう一人、友人の23歳のお嬢さん、彼女は二女の幼なじみですが、私の年賀状で「アクション111」の異を知り、手製のペットボトルを利用したマラカス様の楽器を持参して、日比谷公園に出かけたとか。「年齢層の高いのにびっくりしましたが、これからもできるだけ参加します」とメールを送ってくれました。ちなみに彼女は文化財修復、という地味な仕事の修業をしています。
人の輪を、人の思いをつなげること、今年も地道にそれを続けていこうと、改めて思いました。

大人の押しつけに問題があるのかも
(1月12日)
成人式。相変わらず、式典会場は、ざわざわし通し、友だちを携帯で探したり、おしゃべりしたり。
しかし、しーんと静まりかえった一瞬がありました。それは「20歳の誓い」を読み上げた時のことです。自分と同世代の若者の主張には耳を傾けるのだと安心しました。
そろそろ、パターン化した式典でなく、新成人自身に企画から任せてもいいのではないかと、何時も思ってしまいます。

タクシーのドライバーさんも、自衛隊のイラク派遣反対のアピールを
(1月11日)
自衛隊のイラク派遣に対して、1時11分に音を出して反対のアピールを、という「アクション111」、私たちは春日部駅東口で、手作り獅子舞も加わって、三線、太鼓そして肉声でアピール。参加者は20人でしたが、駐車中のタクシーにも呼びかけたら、という仲間の提案で、ビラをタクシードライバーさんに手渡したところ、1時11分にクラクションを鳴らして参加してくださいました。
昨日の「イラク報告会」での呼びかけに呼応して参加くださった方もあり、その後いつものぴーすうぉーくコースを歩きながら、道行く人にチラシを手渡しました。
チラシの撒き手が多かったせいか、あっという間にビラが無くなりました。
小さな行動かも知れませんが、息長く継続していこうと思っています。同じ思いの方、気楽にご参加下さい。


いろんな考えの人が、場を共有できた実感…イラク報告会
(1月10日)
イラク報告会が終わりました。
連日の駅頭ちらし播き、そして、新聞3紙が広報してくれたことなどから、何人くらいの方が参加してくださるのかドキドキでした。
結果的には60人弱でしたが、若い方から年輩の方まで、「新聞を見て」という方も何人もいらして、やってよかった、と思いました。
講演の後の座談会では「私は自衛隊は人道支援として派遣されると信じています」という方もいらっしゃいました。いろんな考えの人が同じ場で語り合うこと、そういう場をもつことも意義のあることだと思っています。
何人もの方からもっとたくさんの人に聞いてほしかった」という感想が出ました。私たちも、越谷で行われた講演を聞いてそう思い、企画しました。是非、そういう思いの方が、自分たちの周りで会を開いてくださるといいな、と思っています。
佐藤さんの写真は、こちらでみることができます。

<お話しは、後ろの大きなスクリーンに写真を写しながら伺いました>

新年早々のうれしいニュース
(1月6日)
お正月は4日から仕事始めです。
10日のイラク報告会の宣伝、チラシ配りの合間に「風のたより28号」をつくっているのですが、年を越してしまったせいか、何度も訂正を繰り返しているせいか、なかなか版下になりません。
昨年は、もう今頃から、1年のご挨拶をしながらできるだけ自分で配布していたのですが、今年はそうできるかどうか……。
「イラクへの自衛隊の派遣問題」、「合併問題」、「旧谷中小学校跡地の問題」そしてもうそこに迫っている参議院選挙。
できるだけ絞って活動しているつもりですが、どんどん時間が過ぎてしまう、という毎日です。今年のモットーは、「ゆっくり、確実に」としたかったのですが。
今日、大袋で「白いキャンバス」という障害をもっているお子さん達、とくに中学校を卒業した後、行き場のない若者たちのたまり場を運営している一ノ瀬さんから、嬉しい知らせを聞きました。
年末から、「白いキャンバス」に仕事を回してくださっていた、ハート(株)の方などが中心になって、越谷、春日部、松伏などの中小・零細企業の方々が、地域貢献などを目標とするNPOを立ち上げるとのこと。その活動の一項目に障害者の就労を加えてくださるようです。
20人ほどが仕事のできる作業所をつくってくださり、それぞれの会社で仕事がとぎれないように仕事を回してくださるほか、運営には当事者の声が反映できるように、理事に加えてくださったり、具体的に動き出したら、s障害を持っている人、いない人が共有できる場も作っていけそうな計画です。
福祉的就労でなく、働く場を持てること、そしてそれに関わる介助スタッフも、ボランティアでなく生活を支えるだけの収入が得られること、私は障害者の就労にはこの視点が欠かせないと思っています。そういう希望が開けるように、できるところで関わっていきたと思います。

新しい年が、平和のための第一歩となりますよう
(2004年1月1日)
あけましておめでとうございます。
選挙に明け、選挙に暮れた感のあった昨年は、また、3月のアメリカのイラク攻撃にはじまり、「有事法制」成立、「イラク復興支援特別措置法」そして、自衛隊のイラク派遣決定と、日本のあり方が根底から変わりかねない年になってしまいました。
本来の市議会議員としての活動の他、少しでも自分達の思いを県政に、国政に届けてもらえる議員を送ろうという意味での選挙応援もあり、また、どうしたら平和を求める声をつないでいけるのか、ということに精力を割いた、相変わら東奔西走、といった1年でもありました。
年末に、プライベートでもいろいろ重なったこともあり、誕生日の翌日、八幡神社で厄払いをしていただきました。
やり残した宿題が山積したまま、30日、31日は1年間を振り返りながら資料の整理、そして、気になった所のみの掃除、最後に最小限度のお節料理を整えていると、除夜の鐘がなりはじめました。108の煩悩、それを全部払ったら、どれだけ平和な世の中になることでしょう。
お正月は、日本の伝統やしきたりを思い出す、よい機会です。
明治23年生まれの祖母に育てられた私は、しきたりが捨てられないまま、子供たちが小さかったころから、大掃除、お節、と一つひとつ伝えたいと、一緒に年末年始を過ごしてきました。
一人、またひとりと、子どもたちが年末に揃わなくなって、今年は、2月に嫁ぐ予定の長女との最後の年越しを過ごしました。
八百万の神を認める、日本の伝統の良さを生かした国際貢献のあり方があってもいいのではないか、と除夜の鐘を聞きながら思いました。
本年も、よろしくお願い申し上げます。
そして新しい年が、皆様にとっても、世界中の人にとっても、よい年になりますよう。

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