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【2005年5月】

「春日部九条の会」は、私たちが準備を進めている会とは別ですが(5月14日)

 「九条の会・春日部」賛同人になってくださった方から問い合わせがありました。
 「『赤旗日曜版』と一緒に、『春日部九条の会』の設立準備会のお知らせが入っていたけれど、呼びかけ人が全く違うので…」
 とのことです。
 私の方にも、「建設埼玉」や「母親大会実行委員会」などの方々で「春日部九条の会」設立の動きがある、という情報(直接情報ではありませんので、違っていたらごめんなさい)が伝わっています。
どちらが先かはわかりませんが、とにかく、目下二つの「九条の会」設立の動きがあるようです。
 「九条の会」はあらゆる思想・信条・宗教とは一線を画し、「九条を守る」という一点でつながろう、という主旨でつくられたものです。私の方からは一応、共産党に「こんな動きをしています」と伝えたのですが、その後何の連絡もありませんので、二つのグループがまとまれるかどうか、ちょっと時間をいただきたいと思います。
 当面、春日部市内だけでなく、宮代町・庄和町・杉戸町あたりの方々と会を立ち上げ、草加市・越谷市・春日部近辺・久喜市…、と繋がっていければいいな、と思っています。

応があるとうれしい「風のたより」配り
(5月10日)

 連日、「風のたより」34号の配布です。
テッセン(クレマチス〕、モッコウバラ、バラ、ヒメシャガ、コデマリ〔私の大好きな花です)、ハナショウブ、カキツバタ?、アヤメ、ライラック、ラベンダー、西洋シャクナゲ、今日はシャラが、etc
.etc.
 もう描ききれないほどたくさんの花々が出迎えてくれます。

 昨日は、保育所の大先輩から電話。「片山いく子と一緒に市政に参加する会」のシンボルマークはふくろうです。「風のたより」にのっているフクロウのイラストを見て、亡くなられたご主人のコレクションのフクロウを何点かプレゼントしたいとのこと。
 早速いただきました。
 もう亡くなられて9年になるとのこと。子どもたちの保育所・学童時代はついこの間のような気がしますが、あっという間に月日は流れたのだと実感。
 
 今日は出逢った方から「風のたより」の感想をお聞きしました。
 文字ばっかり、と批判されている「風のたより」ですが、きちんと読んでいてくださる方がいると、やっぱり丁寧に書きたいと思ってしまいます。

 ところで、明日から、2泊3日で視察研修に出かけます
 佐賀の市民活動センター、そして前から行きたかった鹿児島市立病院、同じく鹿児島市の立体高架事業を視察し、春日部市の事業計画・再整備計画に生かしたいと思います。
 遠距離になるので、旅費の不足分は、会派で積立ていた分から負担します。

 帰ったら、報告させていただきます。

連休後半は、「風のたより」配布
(5月5日)

 連休の最後の2日間は、「風のたより」34号の配布をして過ごしました。
 この時期、自転車で街の中を走るのは、とても爽快です。訪れる家々の花も見事で、ちょっぴり我が家の状況を反省。
 お出かけのお宅も多いのですが、庭の手入れをしていらっしゃる方も多く、いろいろお話しするのも楽しみの一つです。
 「千人針」の布も持参して、少しずつ、九条の条文の文字が現れてきました。
 朝でかける前と帰宅後は、配布の準備。「猫の手でよかったら貸そうか」と気持ちはありがたいのですが、ラーン君、重石になって寝てるだけじゃないの。

本日は千人針ならぬ200人針でしたが
(5月3日)

 良いお天気に恵まれ、暑過ぎた感もある1日でした。
 春日部は「藤まつり」。今年はタイミング良く藤通りの藤が満開で、主催者発表は12万人の人出だったとか。

 朝10時から、その春日部駅西口に立って、昨日、みんなでワイワイいいながら「憲法九条」の条文を拡大コピーし、それを下書きにして「千人針」用の針目をつけた布を広げて、「平和の千人針」の呼びかけをしました。大学生もたくさん参加してくれて、今日は20人もの参加があり、嬉しく思いました。

 午後は、藤まつり会場の「わらじの会」のブースの前を借りて四時まで。
 縫ってくださった方の数はカウンターでは200ばかりでしたが、「なつかしいわね」とよって来られる年輩の方、「これが千人針か」と立ち止まる男性。そして「千人針って知ってる?」と声をかけると、きゃーきゃー言いながら「玉止めってどうやるんだっけ」と針をもってくれた中学生。男の子も興味を持って縫ってくれました。
 縫い取りながら憲法九条の話、戦争の話…。年輩の方は「もう二度とあんな時代になってほしくない」と口々におっしゃり、中学生は「戦争は絶対にイヤ」と言い。
 もちろん「千人針」に協力してくださった方たちだからそんな言葉が返ってくるのでしょうが、つくづく、憲法改正論議は、もしこれから戦争のできる国になったら、一番影響を受けるであろう、中学生も含めた、若い人たちの意見をよく聴いてほしいと思いました。

 夜、ニュース23をみていたら、「憲法」特集でした。「自民党改正案」に対する大阪のおばちゃん達の反応、共感できます。「家庭の責務」をなぜ憲法に盛り込まなければならないのか。
 なにかというと、「モラルの欠如」を国民の生にする政治家の皆さん、まず、国家権力を行使する側のモラルの欠如を正してほしいものです。
 などと思いながら観ていると、立花隆さんと宮台真司さんの討論で、「憲法は国家権力を行使する側に対して、国民に対しての責務を約させたもの」という話が出て、ホットしました。今の憲法論議で最も欠けているのは、この点だと思います。
 これからも、みんなで憲法について考えていきたいと思った1日でした。
 「出前千人針」を続けて、なんとか九条の条文を完成させます。

94歳のエネルギーと50代のパワー、そして6歳で散った命(5月1日)

 本日は、久々の休日。
「参加する会」のメンバー、Nさんが、なんとミュージカル女優デビューする舞台を観に。
 もっとも彼女はすでに、「I LOVE 憲法」のミュージカルに出演しているので、デビューと言われるのは心外かも知れません。しかし、あの流山児祥演出で、流山児事務所のプロと一緒の舞台というのは、やっぱりデビューと呼びたいものです。

 その前に、「せっかくだから、三越の『三岸節子展』に行かない?」と同行する「参加する会」の一番の先輩格に誘われました。
 正直、圧倒されました。
 30代、40代、50代…、年代によって画風ががらりと変わるのです。そしてヨーロッパに渡ってから、開放されたように大胆なタッチになり、70代くらいから枯れた色遣いになったかと思うと、また80歳代から復活したかのように大胆になり…。
 84歳までのフランスの一人暮らし、というのも驚きですが、84歳で帰国してから、さらに10年間、日本で次々に大作を生みだし続けたエネルギーは、感嘆の一言です。
 94歳で描いた桜の凄さ。
 思わず、同行のIさんに、「もう72歳だからって、遠慮するのやめた。あと22年は頑張ってもらわないと」と言ってしまった私です。
 しかし、これは我が身も同様。50代後半はまだまだヒヨッコ、と私の年齢で描いた絵の前で、思いました。

 早稲田の小劇場で、野田秀樹翻案の楽塾歌劇「真夏の夜の夢」を。
 Nさんだけでなく、50代の女性が数人出演するとのことで、「50代の女性のパワーに圧倒された」とは、演出の流山児市がプログラムに記した言葉です。
 一頃「青春」に対して「青秋」という言葉が使われたことがあります。60代半ばまでの「青秋」を、私もじっくり楽しもうと思います。

 偶然、やはり観劇にきていた、写真家の佐藤好美さんと一緒になり、電車でせんげん台まで帰る道すがら、最近彼女が訪れていたスマトラの話などを聞きました。
 「スマトラでもものすごい悲劇があったけれど、今、スマトラは復興に向けての希望がほの見えている。しかし、イラクは…。やっぱり災害と戦争はちがう」と、佐藤さんの思いはやはり、イラクの子どもたちに至るようです。
 佐藤さんから、元テレビ朝日の社員であり、今はフリーのビデオジャーナリストである田保寿一氏が作成したDVD「アッパース君が6歳で死んだ理由」をお預かりしました。
 湾岸戦争と2003年からのイラク攻撃でもっとも激しい戦闘が行われたバスラで生まれ、育ったアッパース君は、アメリカが
「イラク戦争終結宣言」を発表した直後に、当時4歳で白血病出あることが判明。医薬品のほとんどないイラクでは治療の施しようがなく、絶望視されていました。
 しかし、イラクに医薬品を届ける活動をしていた日本の市民運動や、来日したイラクの小児科医の呼びかけで募金活動が広がり、1千万円の支援募金が集まり、翌2004年の1月に母親と共に来日。半年間の治療の結果、病状は一段落、本当はあと1、2年の継続治療が必要とされましたが、10月に、治療用の薬を携えて帰国。元気に暮らしたのもつかの間、その翌年、つまり今年の2月に病状が悪化して、わずか6歳の生涯を閉じたとのことです。
 そのドキュメントフィルムをまとめたこのDVDは、できるだけたくさんの方に見て欲しいと田保さんが無料で配っているものです。
 近く、上映会を開く予定ですが、ご覧になりたい方は、ご連絡ください。

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