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【2005年7月】

憲法問題の基本は、21世紀をどんな世界にしたいのか、にあるのでは?(7月30日)

 「さいかつ九条の会」の定例会。
 7日の講演会の前に、「映画日本国憲法」のビデオ版の試聴会をしたい、という提案があり、本日は7日の打ち合わせの前にみんなで観ました。
 現在、中野ユーロスペース
で上映中のこの映画は、「老人と海」、「チョムスキー9・11」の作品で有名なジャン・ユンカーマン監督が、日本国内のあまりに性急な憲法改正論議に疑問をもち、世界の著名な知識人12人に、「日本国憲法」に対する見解をインタビューし、まとめたものです。

 その中で唯一の日本人、社会学者の日高六郎氏が、憲法起草時
の資料から、
・連合国の「憲法改正」の
求めに応じた時の幣原内閣の草案が、立憲君主制を維持する「帝國憲法」の手直しでしかなかったことから、GHQがこれではとても連合国のOKはでないと、急遽、草案作成に取りかかったこと
・当時内閣の「憲法改正」と併行して、民間人が「憲法研究会」を立ち上げ、草案をつくっていたこと
・結果的に、GHQの草案と「憲法研究会」の草案は共通項がかなりあり、結果として民間人が時の政府に、国民主権の観点から、国権の乱用に歯止めをかけ、国民の権利を守ることを約束させるものになったこと
 をきちんと裏付けてくださっていました。
 アメリカからの押しつけ憲法だという人たちは、こういう歴史的な事実を一体、どう考えているのでしょう。

 もう一人、憲法の起草に係わったベアテ
・シロタ・ゴードンさんは、国民の権利をきちんと守るために、とりわけ西欧よりも人権を侵害されていた女性の人権を守るために、当時入手出来たあらゆる国の憲法を入手し、世界一の憲法を作ろうと努力したことを語り、最後に
「平和がいちばん、今世界でいちばん大きい重要な問題ですから、日本がそういう指導者になれば素晴らしいことになると思います」
 と結んでいたことが、先日伺った講演の際のお話と重なって、納得できました。

 日本が戦争放棄の憲法をもったことに、最も不満を持ったのがアメリカであり、そのアメリカからの要請で、「警察予備隊」が作られ、やがて「自衛隊」へと発展していった歴史からも、本当に憲法改正で「自衛のための軍隊」をもつことが日本の安全につながり、世界平和に貢献出来ることなのかどうか、改めて考えてみる必要があると思います。
 多くの人が、「憲法改正」は日本の国内問題ではなく、極めて国際的な問題であることと指摘し、
「東アジアの若い世代が共に平和的な感受性を一緒に育てていくことが大事」
「21世紀の東アジアでなぜ自分たちの平和が維持できないのか、なぜ海の向こうの米軍がこちらに来なければ平和が維持されないのか」
 といった言葉にも耳を傾けるものがありました。

 戦後60年の今年、東アジアの人々が武力によらないで平和を構築していくために何をするべきか、の話合いが重ねられています。
 「憲法第9条」は、まるで神が私たち人類に送ってくれた宝物のようです」という、中国の作家であり、映画監督である班忠義氏。
 ユンカーマン監督は、最後に
「日本国憲法は、戦争へ導こうとする勢力に対する唯一の武器である」
 と語っていました。
 21世紀を平和な世界にしたいのなら、「平和憲法」を手放してよいのか、一度この世界中から賞賛を浴びている「平和憲法」を手放ししたら、再び手にするまでどんなに困難な道のりになるのか、是非討論していきたいものです。

 「映画日本国憲法」は、これから自主上映会が全国で展開されます。是非一度、ご覧ください。また公式カタログ「映画日本国憲法読本」も発売中です。詳細はMシグロまで。

 

戦後60年という区切りの年だから平和について考えたい
(7月26日)

★すごい迫力の一人芝居「父と暮らせば」
 24日(日)の夜、「春日部おやこ劇場」主催の、「父と暮らせば」を観に出かけました。
 井上ひさし原作のこの作品は、宮沢りえ主演で映画化され、また劇団「こまつ座」でも上演しと、広く知られていますが、今回は佐々木梅治
さんという俳優さんの一人芝居です。
 最初は、中年男性がりえちゃんのイメージの強い美津江を演じる違和感にとまどいを感じましたが、佐々木さんの熱演に知らず知らず引き込まれていました(ごめんなさい。最初は目を閉じて聞いてました)。
 きっと、観客の約半分を占めていた中学生・高校生も、演じるということはこういうことなのかと、実感したのではないでしょうか。
 映画のビデオ・DVDが発売されたこともあり、あちこちで上映会の知らせを聞きます。
 この作品もそうですが、「明日Tomorrow」や「明日元気にな〜れ」など、ひとたび戦禍に巻き込まれたら、それまで何気なく過ごしてきた日常が、なによりも大切な人が奪われてしまうということを、淡々と語ってくれる、こういった昨品を通して、若い人たちに是非、戦争と平和について考えてほしいものと思います。

 ところで今回の会場は教育センターの近くにある、「向陽
寺」さんでした。お寺は地域に開かれた場所だからと、ときどき「おやこ劇場」のイベントに会場を提供してくださるとのこと。
 本堂の装飾が舞台装置のように見え、大きなホールよりもずっと佐々木さんの演ずる思いが自然に伝わったように思います。

★元「日本軍慰安婦」李さんと語る会

 1992年に「慰安婦」だったと名乗りを挙げて以来、歴史の証言としてずっと韓国・日本で活動していらっしゃり、映画「ナヌムの家」の主役のお一人である李容洙さんが、この夏も来日されています。
 この機会に多くの人に李さんのお話しを聞いてほしい、という要請があり、急遽、8月3日の夜、越谷で集会を開くことになりました。
 関心のある方、是非ご参加下さい。

だれかとどかかで繋がって
(7月23日)

 プライベートでもちょっとあわただしいできごともあり、なんとなく気ぜわしい1週間を過ごしてしまいました。
 前半はちょっと母親と嫁的生活を過ごし、週の後半のあれこれを…。

★これからがんばらなければ…埼玉県盲人福祉大会
 21日、知り合いの方からご紹介をいただき今年は春日部市で開かれた「埼玉県盲人福祉大会」へ出席させていただきました。
 市長の代理で健康福祉部長が、教育長の代理で教育委員会の総務部長が出席していたのですから、本来は議長か副議長が…、とちょっと気後れ。しかし、日頃からお世話になっている県の障害福祉課長の長沢さんのお顔を見つけてっちょっとホットし。
 盲人福祉協議会会長の茂木さんのお話しで、7月5日、「障害者自立支援法」に抗議する1万数千人の人々の波に、協議会の方々がいらしたことも知り、またちょっとホットし…。
 「障害者自立支援法」は、衆議院を通過したあと、郵政民営化法案のあおりで、参議院での成立があやぶまれていますが、解散総選挙で政界地図が大きく変わらないかぎり、継続審議となることでしょう。
 さまざま問題を抱えているこの「障害者自立支援法」ですが、介護保険と同様、実施主体は市町村になります。つまり本当に障害を持っている方々を支援できる制度になるかどうか、市町村のがんばりどころです。
 会場で誘導ボランティアをしている方々の中に、知り合いの方の顔も何人か…。一緒に地域で共に生きられる、そんな街作りを進めていこうと、決意を新たにしました。

★卒業して40年たつと…在郷同期会
 22日は1日中、三郷市の選挙の応援。その後同期会へ。
 最初は、日本橋界隈で働いていた同期の連中が、たまに集まって飲んでいたことから次第に輪が広がった秋田高校41年卒の同期会「秋交会」、しばらく参加できなかったのですが、21回目という今回、久しぶりに参加。
 駆けつけると、24人の顔ぶれの中に卒業以来はじめて、という人もいて、懐かしい一時でした。
 経営者から、大病院の副委員長、そして某県副知事といった人も、育てた会社を吸収合併され第2の人生を歩んでいる人も、親の介護で勤めをやめた人も、パートナーの起業によって厳しい生活から働きはじめた人も、パートナーの死によってやはり仕事を始めた人も…。
 ときに40年前に戻り、ときに現在の仕事や生活の中から共通項を見つけて話こみ…、あっという間に時間は過ぎていきます。
 人生っていいな、そんな夏の宵でした。

★若者たち大活躍…「わらじの会」虫干しフリーマーケット
 
23日、早朝からフリーマーケットの準備の手伝いを。いつもながら衣類の仕分けをしていたのですが、もうフリマの主役は若い世代。若者達のしきりに従って、値段毎に衣類をぶら下げ、ビニールシートの上に広げる衣類を畳んで並べ…。
 それにしても10年前と違って、高級衣類売り場が作れない!
 数万円はするだろうという衣類を1.000円で売っていた頃が異常で、これが正常なのだろうと思いました。

★若い人に聞いてほしい戦争体験…「語り継ぐ戦争の記録」
 
午後は中央公民館で開かれた朗読会へ。
 春日部市民が綴った「戦争体験」を、朗読の会が朗読するという試みです。最初は年輩の方ばかり目についたのですが、はじまるころには400人の講堂がほぼ満員に。中に親御さんに連れられたお子さん達の姿もあって、ほっとしました。
 戦後60年、戦争の記憶のある方々は次々にご高齢になっていきます。今こそ、語り継がなければ、あの戦争はすっかり過去のものになってしまうことでしょう。
 企画された「あめんぼの会」の方々のご努力あっての催し、もっともっと、広がるといいなと思いました。

★マグニチュード6でこんなにもろい都会の生活
 夕方から、三郷の選挙の最終に駆けつけよう、南越谷駅で乗るはずの電車が
 ホームに滑り込んできた瞬間、大きな揺れ。
 しばらく電車は動かないだろうと覚悟はしたのですが、1時間半たっても「運転再開の目途は立っておりません」のアナウンス。やむなく、運転を再開した東武線に乗って家に戻りました。
 なんと言っても安全第一。夜まで運転が再開出来なかった路線があったのもやむをえないのでしょうが、そんなときの対応策を、自分で考えなければ行けないのだと実感しました。
 幸い、ケガをされた方も、軽症だったようですが、首都圏大地震、現実味を帯びてきたと感じた1日でした。

自然との共生はむずかしい?
(7月7日)

 昨日の日没前、お隣の屋敷林に大量のムクドリが。
 せんげん台駅前のケヤキの木がムクドリ対策で丸坊主といっていいほど枝を払い、団地もそろそろムクドリ対策をはじめるころなので、ねぐらを探してやってきたのでしょうか。
数千羽ではきかないムクドリたち、電線などにはきっちり等間隔に止まっていますが、突然10本足らずの木に止まろうとして、何度も鳴きわめいては陣取り合戦を繰り広げていました。

 谷中小学校の解体工事が始まり、40年近く育った木々たちが次々に切り倒されています。新しく宅地開発するにはやむを得ないのでしょうが、住宅地にはきっと、見栄えのする、手のかからない植裁が施されるのでしょう。

 報道をにぎわしている、アスベスト問題、大場小学校と大畑小学校の解体の時には、解体業者から届け出でが無かったとのこと。業者からの届け出制になっているのも疑問を感じますが、設計・施工には、吹きつけ材料までの明記がなく、どこにアスベストが使われているのかわからないとのことです。
 谷中小学校の校舎の解体までに、きちんと調べてもらうよう、環境保全課に頼んできました

厚生労働省の皆様にお詫び申し上げます
(7月3日)

 以下のメールが届きました。

「HPに記載されていた以下の記事ですが(2月の抗議活動)、黒塗りのハイヤーはマスコミ(新聞社)のものと思われます。中央省庁の役人は、局長等のえらい人でも無い限りハイヤーは使いません。近場の移動は地下鉄か(予算がない部署では)自腹です。
誤解を招きやすいのでメールさせていただきました。
(庶民の味方のふりをして、庶民ばなれした生活をしているのはマスコミです。)厚生労働省職員より。

 私の書いた文章は、以下の通りです。
「ところで、象徴的な出来事がありました。
 防寒対策をしっかりとってもまだ寒い、戸外で抗議運動を続ける障害者の列の前に、コートも着ないスーツ姿の、書類を抱えた若い男女二人が厚生労働省の建物から出てきて、黒塗りのハイヤーに乗り込みました。
 大事な仕事があっての、ハイヤー利用だったのでしょう。しかし、怒りの声を上げている障害者の列の前で、堂々とハイヤーに乗り込む神経。若い時からこのような生活をしている人たちに、果たして障害当事者の立場に立った施策が考えられるでしょうか。」


 
厚生労働省から厚生労働省の封筒を抱えて出てきただけで、事実を確認しないで、ホームページ上に誤解を与える表現をしてしまったこと、深くお詫び申し上げます。

悲しいお別れと、祝福がいっぺんに
(7月2日)

 午後、保育所と学童保育(うちの子どもたちがお世話になっていたころは、市の補助を一部受け、保護者と指導者が共同で運営する自主保育でした)の大先輩でもあり、仕事の上でも大変お世話になった中田さんの49日の法要があり、夫とともに焼香にでかけました。

 仕事の面では「日本の食生活全集」という、各都道府県別の伝統的な食事をまとめる本をお手伝いさせて頂きました。その時一緒だった方々とも久しぶりにお目にかかり、改めて「農業全書」、「食生活全集」と貴重な仕事を残された中田さんの功績を偲びました。

 私的な面では、「ねこ」愛好家であり、これまた日本全国の、時にキューバやタイの、「ねこの民俗学」を調べ、2冊の本をまとめた中田さんの肝いりではじめた「埼玉ねこの会」の広報を担当させて頂きました。
 谷中・千駄木界隈は、地域猫が多い地区です。そのはずれの、鶯谷の猫好きのママが経営する居酒屋で、猫ちゃん相手に一緒に杯を傾けたのが、ついこの間のような気がします。

 ねこに関する2冊目の著書、「猫めぐり日本列島」の出版記念パーティーがあったのが、4月の末のこと、そしてその時の写真と自筆のお礼状が送られてきたのが5月末、その礼状が届いたころ、静かに旅立たれたとのことです。
 きっとパーティーで、親交のあった方々と密かに最後のお別れをされたのでしょう。初発のガンの手術以来、度々、ユーモラスな闘病生活の様子、小康状態を保たれて取りかかっているお仕事のこと、知らせてくださっていた洒脱な中田さんらしい、人生の締めくくりであったように思います。

 きっとご本人の、そして御家族の意向で、ひっそりと送りたかったであろう法要の席に無理なお願いをして、しょうこうさせていただき、お別れしてきました。

 夜は、「わらじの会」の若い仲間二組の「結婚を祝う会」。
 どちらのカップルとも、もう長いつきあい。辻さんは「ぴーす うぉーく」の共同代表もつとめてくれていますし、お相手は、うちの夫が息子の嫁に、と密かに惚れ込んでいた素敵な女性。
 片やY氏は、時折私と激論になりますが、ビデオ記録を作ったら「わらじ」の宸Pというユニークな青年、お相手のSさんが1年間ボランティアとしてはじめて「わらじ」にやってきて早10年以上の歳月が流れ、それでも、今もってシャイなまま、彼女らしい「わらじの会」とのつきあいをしています。
 そういえば、1年間ボランティアを終えた後、「わらじ界隈」に引き続き残る若者が多いのはなぜでしょう。
 25年という「わらじ」の歳月の中で、この青年たちがきっと新しい歴史を刻んでいくのだろうと、仲間が心を込めた手作りの豪華な食事を頂きながら、心から祝福した夜でした。

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