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【2005年8月】

選挙! 選挙!
(8月28日)

 今日は、八潮市議会選挙と市長選挙の公示日。仲間の応援に出かけました。
 草加市からバスに乗ろうと駅前に出ると、もう衆議院選挙の予定候補者が演説。今日は谷垣財政担当大臣が応援にかけつけており、かなり動員されているらしかったのですが、その割には聴衆は寂しい。
 このところ、選挙の話題になることが多く、かなり関心は高まっているように思います。しかし…。

 9月議会でも、この衆議院議員選挙の費用の専決処分が、議案になって提出されています。春日部市では7千万円余り、なんのために巨額な費用を使って?
 「郵政民営化」に対して国民の賛否を問うといっているけれど、では自衛隊をイラクに派遣するとき、世論は二分していたのに、賛否を問わなかったのはなぜ?
 郵政民営化法案が否決されたのは、野党の反対ではなく、自民党で反対に回った参議院議員が多かったからであって、自分たちが党内の意見をまとめきれなかったのは、小泉首相はじめ、党の役員の指導力、もしくは政治手法の問題なのでは? 本来は内閣総辞職が筋であって、なんのために国民の審判をあおぐの?
 
 等々の疑問の声が聞こえてきます。あんたの回りだけだろう、といわれそうですが、実は、今までは自民党を支持してきた業界団体の方からも、こういう声が聞こえて来ている事実を、マスコミは本当に把握しているのでしょうか。
 さすがに新聞は政策論議に焦点を移してきていますが、いつまでも「刺客候補」VS「郵政民営化反対候補」追いかけているテレビの姿にはうんざりといったところです。

 折角のチャンスですから、小泉内閣の政治姿勢に審判を下す機会にしたいものです。

地域コミュニティの大切さを実感
(8月27日)

★川清掃
 朝、一番に中之堀川の川清掃に。相変わらず、車から投げ込んだのか、スーパーの袋に入ったゴミ、釣り人がまとめておいておいた空き缶やペットボトルがあふれて川にこぼれ落ちそうになっているもの、等を拾い集めました。
 はじめたころよりは随分、川の中のゴミは少なくなってきています。これは、川の中の倒木等を伐って、水の流れをよくしたせいもあり、ということは、今まで川にたまっていたゴミが下流へ、そして海へと流れ込んでいるということになるのでしょうか。
 県も「川の里親制度」をスタートさせ、少しずつ、自治体の枠を超えて、川の流域毎の浄化作戦を進めようとしています。関心が海、とまではいかなくとも、春日部の場合、農業用水になっている川も多く、お米を育てる大切な川の水を、少しでもきれいにするために、もっともっと、住民と行政が力を合わせていきたいものだと思います。

★防災訓練
 夕方、自治会の防災訓練に。
 消火器の使い方を説明してくださった業者の方が、天ぷら鍋火災と、地震のときの対応についても話してくださいました。
 首都圏でも、弱いとは言えない地震が続発しているこのごろ、地域で防災意識を高め、いざというときに協力しあう大切さを実感しました。

★夏祭り
 夜は、自治会の納涼「阿波踊り」。今年は小規模でしたが、踊ったりビールを飲んだり…。自治会の行事はとても盛り上がるこの地区、この関係性を大切にしていけば、これからも様々な広がりがもてるように思います。

訓練だけで終わりますように・防災訓練
(8月21日)

★防災訓練
 朝、藤塚小学校で行われた「防災訓練」に参加しました。
 今回は、「ペットと一緒に避難する」という訓練も行われ、その注意事項をまとめたチラシをみていて、「うちはとても犬1匹と猫4匹を連れては逃げられないな」と思いました。
 避難所に避難するとなっても、多分車暮らしを強いられることになるかも。
「訓練が訓練で終わりますように」と言うのは共通の願いだけれど、また本日も中越地方で地震が。
 このところ首都圏を中心に頻発する地震、エネルギーが放出されているのか、プレートのひずみが大きくなっているためなのか不明なのが、気になるところです。
 万一に備えて、もう一度、我が家の点検をしておかなければならないと反省。
 地震が起こったら3分で身の安全を確保し、3時間で避難・救助、3日間は非常事態を乗り切れる備えをしておく、というのが基本とのことです。

★「風のたより」配布
 このところ、藤塚地区は郵便でお送りしていたので、せっかく藤塚に出かけたのだから、と、藤塚、六軒・本田地区を回りました。しかし半端でない暑さに、いかん、意識が…。
 途中、急遽昼食休憩。
 日曜日でも不在のお宅が多く、なかなかお目にかかることはできませんが、久しぶりにお会い出来たかたとはいろんなお話しもできて、できれば郵送だけでなく、こうして直接お目にかかるのがいいのだけれど…と。
 皆さんのご協力で、残りもわずかなりました。この暑さの中、本当にありがたいことと、感謝するばかりです。

 しかし、今日は暑かった。家に帰ってみると、顔も腕も、今日一日で真っ赤に。それでも今年は、去年よりはずっと楽ですが。

★衆議院選挙
 夜は「ぴーす うぉーく」や「九条の会」のメンバーが開いている学習会へ。
 今回の衆議院選挙の情勢のあれこれを。
 小泉内閣の支持率は、解散後じりじりとあがっているようです。世の中が閉塞状況にあるときは、わかりやすく、強いリーダーを求める、という指摘もあります。
 もし、「郵政改革」に対する「国民投票」と位置付けたいというなら、私は有権者として、「郵政法案」の扱いに対して反対意見を封じ込めた小政権の強権政治に対してイエスなのかノーなのかという国民投票にしなければ、と思っています。
 民主主義というのは、議論をつくし、少数意見を尊重することが本質です。だから、時間も手間もかかります。その時間をかけること、手間をかけることに、「主権者は国民なのだ」ということの本質があるのですから、有権者を代弁する議員として誰がふさわしいのか、きちんと審判を下したいものです。

郵政民営化と今の法案の中身の吟味は別問題では?
(8月18日)

 「あなたは民営化に反対なの?」と聞かれます。
 私は「民営化はぎろんすべきだと思うけれど、今の民営化法案は納得できない」と答えると、それでもたたみかけるように「賛成か反対かはっきりしないのはずるい」と言われることも。
 「小さな政府」を目指す、「小泉構造改革」の目玉であった、「郵政民営化」。
 だったらなぜ、「過疎地の郵便局はつぶさない」と約束するのか。民営化する目的の一つに、採算のとれる事業があるとすれば、不採算を受け持つことを民間に要求できる?

 郵便局は巨大メガバンク。それが市場に流通しないから、景気がよくならない、というけれど、それは貯金している国民の問題ではなく、郵貯や簡保を運用してきた政府の責任では? 
 郵貯・簡保を切り崩そうとしているのが、銀行だったり…、あるいは昨年10月に示されたアメリカ政府の要望書の存在は?

 もっともっと本質的は論争を国会審議ですべきだったのでは、と今更言っても仕方がないと思いつつ、そういう国会の在り方だよいのかだけは、きちんと国民が判断を下す選挙であると思っています。

すいとんと汗と未来
(8月15日)

 今年も、終戦記念日がやってきて、すいとんをつくりました。今までは家族の揃う夕食につくっていたのですが、子ども達のうち、上の二人はそれぞれ家庭をもち、三番目は職場の近くで一人暮らし、ただ一人残る末っ子は、「今日から海に行く」と出かけてしまったので、昼食に。

 原爆祈念日以来、ずっとマスコミで報道され続けてきた戦争関連のニュース、改めて、平和を守るために何ができるのか、何をしなければならないのか、と思う日々が続きました。

 今年も暑い日が続き、せっかくできた「風のたより」の配布も、日中はちょっと一休みです。
 暑いさかりは、家の中で、事務的なことを。冷房がきらいなので、窓と言う窓をあけはなち、汗をかきながらの作業も、「本当の夏」となかなか気持ちのよいものです。

 「パソコンだって電気を消費している」と嫌みを言われつつ、便利さも必要だけれど、それと引き替えに失っているものも考えつつ暮らしたいと思います。
 限りある資源を、私たちの代で使いきったり、環境を復元不可能なほど、破壊して、未来にバトンタッチするようなことをしないためにも。


明治維新以降の日本の近代化について考るきっかけとなった集会(8月14日)

 「九条の会・さいたま」の呼びかけで行われた、「憲法九条 アジアへの約束」(戦後60年…8・14集会)に参加しました。
 
 集会は、韓国民主化運動を身をもって体験し、その後日本にお住みになって、南北統一問題や、日韓・日朝関係の在り方などを提唱し続けている、鄭敬謨(チョン・ギョンモ)さんと、目下「靖国問題」という著書で話題の高橋哲哉さんの問題提起プラス対談、という形で進みました。

 最初に鄭さんから、「戦後60年というけれど、実は、明治維新以来の日本がどんなふうに国づくりを進め、アジアと向き合ったのか、というところから考えなければいけないのでは」という問題提起がありました。
 開国後、伊藤博文、大久保利通、岩倉具視などの明治政府の担い手たちが、い1年半をかけて21カ国を訪れた欧州視察団。結局、帰国後英米露国をお手本とし、「富国強兵」政策を掲げ、大国の仲間入りを目指したところから、日本の近代の歴史はスタートした。その後、延々と第二次世界大戦の敗北まで、英米の植民地政策の片棒を担ぐ形でアジア諸国の支配をもくろんだ、という時代の流れを読みとらなければ、敗戦ののちの国の在り方も論議できない、という指摘にハッとしました。

 対する高橋哲哉さんも含め、お二人とも、戦後も「大日本帝国」の思想に引きずられてきた日本の在り方を指摘。
 前にも書きましたが、「改憲」を唱えるのが保守派である、ということに通じて、もう一度近代史を振り返ってみなければ、と思いました。

 グローバリズム、という言葉が大義名分となっていますが、日本はでは、世界の中でどんなスタンスをとるべきか、これは実は、私たちの暮らしかたや社会がどうあるべきかということに通じる問題ではないかと思っています。
 つい先日、EU憲法承認を巡る国民投票で、オランダが否決したことについて、ヨーロッパのいわゆる大国と、北欧の小国の温度差、そしてイスラム圏とのつきあい方、などの話を聞いたばかりです。
 ドイツでは、国民一人ひとりが、自分たちの問題として考える土壌ができているのに、日本は外交問題は政府の問題としていないでしょうか。

 鄭さんの発言が収録されているWeb (http://www.online-ryu.com/)、思わず読み入ってしまいました。興味のある方、一度、ご覧ください。

 

久しぶりの命の洗濯・2日間
(8月11日)

 8日、岐阜駅で3人の再会。10年ぶりか?
 その夜は、岐阜の友人宅に一泊。パートナーとともに歯科医として診療を続けているのに、お母様ができなくなった畑の手入れもし、とれたての野菜たっぷりの手作りの晩ご飯でもてなしてくれたのには感激(家の中の掃除も行き届いていて、反省)。
 パートナーは、昔、私が彼女と京都のアパートで一緒に暮らしていたときからの知り合い。当時と変わらないままの優しい叔父さんになり、せっせと台所で茄子田楽なんかつくってくれ、円満な家庭を覗き見たり…。
 3人揃うと、一気に40年前までさかのぼったり、共通の友人の話をしたりして、すっかり盛り上がり、夜は更けていくのでした。

 翌日は、彼女の車で一路彦根へ。
 「温泉でゆっくりしよう」と、岐阜近辺の温泉宿を当たってくれたらしいのですが、何しろ夏休みで愛知万博にドッと繰り出した人たちが流れているらしく、どこも満員ということで、琵琶湖まで足を延ばすことになりました。
 といっても、彦根までは一般道で1時間半足らず、思いのほか近いのにびっくり。
 彦根城は小さいながら、とても美しいお城、ドイツから帰国中の郁ちゃんも感激。
 しかし、日本人はせっかちなんだ、と郁ちゃんの「もっとゆっくり見ようよ」の度々の発言に反省。一階上がる毎に変わる景色、場内の木組みなどの美しさをしっかり堪能。

 
<主役の彦根城とダブルいく子、私は右です>

 夕方、余呉湖のほとり、木之本町の、築200年近い民家を改造した民宿に到着。3組しか宿泊客を泊めない、というゆったりしたもてなし、貸し切り温泉風呂を満喫。
 道々、琵琶湖の風景とともに街道筋の街並みの美しさに感激しましたが、考えてみると、大津は飛鳥の次に都が置かれたところ、実は奈良や京都よりも古都だったのだと、さび付いていた記憶が蘇ったのでした。
 木之本の中でも、宿泊した大音は、養蚕、絹糸の製糸の盛んだったところ、とくに琴や三味線の糸として珍重されているとのことでした。
 ドイツの、彼女たちが七年前から取り組んだまちづくり(一部は完成しまあ下が、2007年まで継続されるとのこと)、住民が主体(とくに団塊世代の女性が力を発揮し、行政を動かしたとのこと)、是非これは、一度訪れなければ、と思いました。
 また、ミュンヘン大学を卒業して、日本語学校を立ち上げるまではケースワーカー(ソーシャルワーカー)をしていた郁ちゃんからは、ドイツの社会保障の実態や問題点も聞くことができました。
 以外だったのは、来客が多い、彼女のうち、もてなしは日本食が喜ばれるとのことでした。儀礼的なものではなく、彼女の子どもさんたちの友人も、日本食を喜ぶそうです。「イタリアンの方が安上がりなんだけど」と言いつつ、公的なところだけでなく、日常生活でもきめ細かく日独の架け橋として活躍している姿を垣間見ることができました。

 翌日は、名高い賤ヶ岳の古戦場へロープウエーで上り、長浜へ出て、琵琶湖周辺に数ある十一面観音の中でも、岐阜の友人が一押しの渡岸寺の十一面観音を拝観。いやあ、聖武天皇が疱瘡の大流行を鎮めるために祈祷を勅した折彫られたというのですから、1250年前の観音菩薩のあでやかさ、こんなにあでやかな観音様ははじめて、と見とれました。
 この観音様は、浅井・織田の戦いで長浜が戦火に包まれた折、村人たちが深く土中に埋めて、焼失を免れたとのこと。日本で一番お寺が多い、といわれる近江路の人々の信仰の篤さが偲ばれる思いがしました。

 長浜の有名な黒壁通りで日本土産を買うのにつきあい、米原で名残おしい別れを二人に告げ、私の夏休みは終わりました。



<民宿の隣にある伊香倶神社は、天武天皇由来の古社でした>


<賤ヶ岳の合戦で命を落とした武士を弔うために村人が彫った石仏が、山頂近くお堂に集められ、祀られていました>

気分的に夏休みです
(8月8日)

 イベントも終わり、何とか「風のたより」35号の版下を作り終えて、今日の午後から10日まで、岐阜に出かけます。
 この夏、高校の同級生で、20歳のときからずっとドイツで暮らしている友人が、久しぶりの里帰り。そこで、在学時はあまり仲良くなかったのに、大人になって急に仲良くなった、元少女三人組が、母親の介護を抱えている岐阜の友人宅に集合、となったものです。

 ドイツの郁ちゃんからは、彼女もその一員となっていた、居住する人たちが中心になってプロジェクトチームをつくり、10年がかりで建設しているドイツ軍兵舎跡を利用したまちづくり(今年の春から住んでいるとのこと)、東西ドイツの統一・ヨーロッパ(EU)の統合のこと、そしてドイツの戦後補償のその後のこと、いろいろ話が聞けるのが楽しみです。

「憲法を守る」という人たちが「革新」と呼ばれる国だったんだ、日本って(8月7日)

 午前中は28回目の「ぴーす うぉーく」
 午後、「さいかつ九条の会」の結成記念講演会が開かれました。
 もしかしたら、もっと来てくださるかな、という淡い期待は外れ、参加者30人、しかし、この人たちの熱い思いから、少しずつ広がっていくことを期待したいと思います。

 講師の三輪先生のお話を聞きながら、ふと思ったこと。日本国憲法が生まれて以来、60年近く、正確には、アメリカの要請で「警察予備隊」が出来て以来、日本と言う国は、ずっと、本来「国家権力が守るべき約束」である憲法を変えたいと思っている政党が政権を握り、護憲政党が「革新」とレッテルを貼られていたということを。
 このねじれの構造から、違憲まがいのことが行われ、それがギリギリのところまできての、「改憲論」の大合唱であるということ。


 
「郵政民営化法案」のあおりで、衆議院が解散されそうな動きになってきました。よい機会です。総選挙には、是非、「改憲」についても争点の一つにしてほしいものです。

ハルモニたちが、いつまで辛い体験を語らなくても済むように(8月3日)

 夜、第2次世界大戦中の「慰安婦」被害者、李容洙さんと語る会が、越谷市の北部市民会館で開かれました。李さんはたびたび、「『慰安婦』という言葉を口にしたくない」、「なぜ私が『慰安婦』と言わなければならないのか」とおっしゃっていましたが、「従軍看護婦」、「従軍記者」のように従軍していたのではない、という見解から、現在、「慰安婦」被害者と呼ぶことで統一してるとのことで、私もこの表現を使いました。

 「李さんが草加に滞在されているので、是非、地元でお話しを聞く会を」という要請があってから、「ぴーす うぉーく In かすかべ」実行委員会と「さいかつ九条の会」でセッティングしてから2週間足らず。どのくらいの方が集まってくださるのか、かなり心配でしたが、新聞報道を見て浦和方面からお越し下さった方もあり、50人定員の会場がぎっしり埋まって、ほっとしました。
 ことに、若い世代の参加が目だったのは、うれしいことでした。

 もう一つの心配は、この手の集会のときにある、抗議活動です。今回はそれもなく、ほっとしました。
 電話の窓口は私でしたが、今回は、「旧日本軍には『慰安婦』なんて制度はなかった、商売の人たちが敗戦後、帰国するために「慰安婦」として便宜をはかってもらったもの」という抗議の電話は一件のみでした。
 「軍人の娘」とおっしゃったこの方に、「見解がちがうのだったら、是非、ご参加くださって話合いませんか」とお話ししたのですが、「結構です。私はしそういう考えですから」とおっしゃって、電話を切られました。
 
 李さんのお話しは、こういう方にこそ、聞いていただきたいと思います。
 もし、あなたが、あるいはあなたの娘さんが、ある夜突然拉致され、何年にもわたって性的迫害を受け続けたとしたら、どうでしょう。

 李さんは、今回は手違いで通訳がなく、おそらく使いたくはないであろう日本語で、訥々と体験を話され、ときに涙ぐまれ、絶句され…。
 「でっちあげ」という人たちにお聞きしたいのは、自分が体験していないことを、こんなふうに語ることができると思いますか? ということです。

 終わったあとの意見交換で、「いつまで李さんが辛い体験を話さなければならないのか、それは私たちの責任」というご意見が出ましたが、まさにその通りだと思います。

 そんな辛い日々の中で、「命の恩人」と李さんがいう、海軍の特攻隊の兵士との心の交流、そして「今思うと、あれが私の唯一の初恋」とおっしゃったとき、私ははっとしました。李さんも、そして相手の兵士たちも、共に「日本国」という国家の戦略の中にのみこまれてしまったのだと。その青年は、特攻突撃して、帰らぬ人になったそうです。

 「日本人は愛しています。しかし、あの当時の国家は許せない」
 戦後60年、最も若かった李さんが78歳ですから、当時20代だった被害者の多くは80歳代、毎年何人ものハルモニが亡くなっているからこそ、亡くなったハルモニの分の「恨」も晴らしたい、だから、話さないわけにはいかない、という李さん。

 その李さんの「過ちを謝罪し、償うことによって、はじめて日本の若者たちは自分の国に誇りをもつことができるようになるんじゃないですか、という言葉に打たれました。

 「でっちあげ」とハルモニたちの証言を切り捨てる人たちは、では、広島の原爆体験者の言葉も信じないのでしょうか。自国の人は信じても、他国の人は信じられないというのでは、国際的な友好関係が結べるはずがありません。

 重い心は残りましたが、取り組んでよかった、と思い、帰宅しました。

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